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急遽、演劇を観に行くことにした。
私が直感で見たいと提案するのは珍しい。
実は、外れたら嫌だなぁと思って、一人で行く気でさえ居た。
チケットぴあで前売り券完売してたため、気合いで当日券並ぶ。
午後四時開演で、
問い合わせるとその三十分前から整理券を配るとのこと。
開場ではなく、なぜか開演の三十分前である。
両国駅に着いたのは午後二時半。
小学生の頃、江戸東京博物館へ社会科見学へ行った以来である。
無事、チケットを取れ、入場したが、
スタッフがてんやわんやしている。
この時、既に開演五分前w
固定席が埋まるまで待たされてからの入場だったから仕方ない。
補助席は固定席の真横(通路を埋める感じ)で二列。
それを上手と下手の両方に。
スタッフ、がちゃがちゃ補助席置く。
誘導も糞もないw
この時、開演五分押し。
さらに十分押し……。
どうなるんだろうと後ろを振り向いた瞬間、客電OUT。
しかし入場扉は開いているw
でも客席の電気消えたから、気を取り直して舞台のほうを向く。
私が直感で見たいと提案するのは珍しい。
実は、外れたら嫌だなぁと思って、一人で行く気でさえ居た。
チケットぴあで前売り券完売してたため、気合いで当日券並ぶ。
午後四時開演で、
問い合わせるとその三十分前から整理券を配るとのこと。
開場ではなく、なぜか開演の三十分前である。
両国駅に着いたのは午後二時半。
小学生の頃、江戸東京博物館へ社会科見学へ行った以来である。
無事、チケットを取れ、入場したが、
スタッフがてんやわんやしている。
この時、既に開演五分前w
固定席が埋まるまで待たされてからの入場だったから仕方ない。
補助席は固定席の真横(通路を埋める感じ)で二列。
それを上手と下手の両方に。
スタッフ、がちゃがちゃ補助席置く。
誘導も糞もないw
この時、開演五分押し。
さらに十分押し……。
どうなるんだろうと後ろを振り向いた瞬間、客電OUT。
しかし入場扉は開いているw
でも客席の電気消えたから、気を取り直して舞台のほうを向く。
これはロミジュリだがロミジュリではない。
私にとって実はロミジュリが一番思い入れのある作品なのだが……。
芝居の始まりは、いきなりのSE(大きな雷&激しい雨)。
うちの芝居の第二回公演「N.E.W. ~終わりなき世界~」を思い出したw
いきなり大きな雷の音とともに暗転。
お客さん、こんな気分だったのね……。
雷の音は低音ではなく高音のほうを強くしてたのが、うちとの違いか。
公演形態は、ミュージカルではないが、歌や踊りが所々に入り、うちの芝居の第三回公演「River of heaven」の形態に非常に似ている。
セリフは韓国語。日本語字幕は主に長いセリフのみ表示。
物語はロミオとジュリエットを大胆に脚色。
朝鮮王朝版になっており、エンディングが思いっきり違う。
まさに、うちの芝居の第二回公演。いや、第五回公演か。
大胆脚色と言ったが、きっと賛否両論あるとは思う。
私は無論好きw
その構想は良く浮かぶけど、
既存の、ましてやシェークスピアの、となるといつもやる勇気が失せる
なんと全員死んでいくのだw
ラストのロミオの父(相変わらず最後にしか出てこない)のセリフは
「刀を受けろ。すべて殺し、種を絶やすのだ」
↓
セリフ直後、全員によるスローモーション的な舞い。
↓
一人、また一人斬られていき、ゆっくり倒れていく。
↓
やがて斬っていた男三人の動きが止まり、
地面に溢れかえる死体の山。
↓
そのまま、照明フェードアウト。
この際の照明の色はうちと同じく、やはり青!
舞いとスローモーションの動きをする役者の肉体が、美しさと儚さを兼ね備えていた。本当に素晴らしかった。
暗転していく中、たぶん私だけだと思うが、声を殺しながら笑っていた。
うちの劇団の様々なレベルが上がった版と言っても過言ではないからだ。正直、ここまで近いのは観たことない!
つまりは理想形態だったということ。
うちの芝居は難解だと言われるが、その逆も居る。
つまり、難解って言われるほどではないと言う人は居るが、難解だと言う人も居るわけだ。
しかし今回観た作品はロミオとジュリエット。
言葉は韓国語であり、日本語字幕は長いセリフの部分しか出てこない。
だが、バレエやオペラみたいに物語を勉強している。
勉強しなくてもロミジュリなら誰もが知っている。
実に分かりやすい筋。
分かりやすいのもいいなぁと一瞬思った。
近年の日本の芝居は分かりやすいというか説明的すぎて、観客の想像力を殺していると言われるけどね……。
装置
実に簡易的。
段ボールで作った簡易パネル(石など)や
中割幕(舞台の奥を一時的に見せないための幕)代わりに大きな白いベッドシーツ。
このシーツは大きくするために大きな布を縫っており、その縫い目が目立って微妙ではあったが、最終的にそのまんまベッドシーツ(ロミオとジュリエットのラブシーン)になるので問題なし。
材で組んでいたのは屋敷くらいだが、それも簡素。
朝鮮版にしたのが効いたのだろうか。
どちらにせよ、役者の肉体をとても大切にしていたんだと思う。
趣向
<ロミオ&マキューシオ&ティボルトの決闘>
原作では噴水の場面。これをバスタブの中でやっていた。
殺陣というより、木の棒(木刀ではない)を剣に見立てて決闘をし、剣のぶつかり合いがリズムを生み出す。まさに音のエンターテインメント。
決闘を軽い遊びのように見せておき、ロミオが止めに入ったときにグサリ……。
明暗はっきりした演出だった。
そして最終的にマキューシオの死体を乗せたバスタブは、霊柩車となって彼を運んでいく。
うちの第三回公演の仮面みたいw
やっぱ見立てって大事だし、演劇の醍醐味よね。
<ラブシーン>
ジュリエットの着物の上着!?に手をかけ、ゆっくりとそれを取るロミオ。
緊張感たっぷりで美しいシーン。
しかし野獣となったロミオは次に衣服を脱がそうとする。
照れるジュリエットは髪飾りを取らす。
ロミオは今度こそ……と脱がそうとするが、先に靴下(足袋!?)を取れとジュリエットに足を突き出される。
これはジュリエットの照れとロミオへのいたずら(焦らし)だろう。
ジュリエットは足袋を脱げないように抵抗し、ロミオを必死に脱がそうとする。
部屋の明かりはろうそく一本。
マッチを自分の胸元に隠し、ろうそくの火を消すジュリエット。
火をつけようとするロミオ、マッチを探す。
ジュリエットとロミオの追いかけっこ。
だるまさんが転んだやら、畳何畳もある大きなベッドシーツをぐるぐる自分の身体に巻き付けたり……。
そしてそのうち、朝になってしまう。
ジュリエット役は美人だが、あどけなさが残るような演技。
それが大人と子供の境界線をあいまいにしており、とてもGOOD!
ロミオはお馬鹿。本当に子供って感じ。
緊張感溢れるラブシーンがいつの間にか笑えるラブシーンに……。
笑いはさほど起きてないにしろ、とても良い演出でした。
<エンディング>
少し上のほうに書いたので個人的な印象を。
向こうの人達は民族・家族など血を大切にする。
それゆえにその血を汚した者は許さない。
日本人と結婚するな、北朝鮮人とは尚更だ、というくらい韓国人は厳しいらしい。
在日が向こうに行くと、なぜ母国語を話せないんだといじめられる。
在日は日本でもいじめられる中途半端な存在だと、つかこうへいが言ってたのを覚えてる。
血という物に固執する彼ら。
若い二人の死体を見て手を取り合うどころか、結婚してたなんて願い下げだなどと怒り狂い、「種を絶やす」というセリフを一番最後に持ってきたのに、私は笑った。
笑った理由を、劇形式が似ていたとか、理想だとか、って上のほうでは書いたけど、本当のところ、私は
『親は子が自分より先に死ぬことを恐れると良く聞く。その親が子供を亡くして悲しむより、血を大切にし相手といがみ合い、殺し合う。報復の連鎖。戦いは終わらない。原作は綺麗事なのか。いや当時は報復なんてなかったのか。それより俺はなぜああいう作品を創るんだろう。狂ってる。狂ってるのは僕じゃなくて周りなのか』
とか思ったのか。
そういや、第五回公演「喫茶カーニバル」のアンケートに「面白かったけど、狂ってる」という言葉が何枚かあった。
あの作品はそれを意識してたけど、狂ってるのを面白がる人と私はそれくらい狂い度が違うのだろうか。
うちの劇団員は私の狂い度に良くついてきてくれるなぁと
私は表面では笑っているが本当は心では泣いているのかもしれないな。
良くも悪くもうちの劇団の作風が今回観た作品に非常に似ていたのは、どこか私の中の半分を占めている朝鮮の血がそうさせているのではないか。
私の忘れたくても忘れられない、忘れてはならない過去はその作風を作る上での要因の一つでしかなく、
大半は私の中の血が、DNAが、そうさせているのではないか。
一日経って、冷静になって書いてたんだけど、文章乱れまくってる。
だけど、このまま載せる。
書ききれないわw
読んでくれた人、ありがとう。
あと上演時間は一時間半くらい。
私にとって実はロミジュリが一番思い入れのある作品なのだが……。
芝居の始まりは、いきなりのSE(大きな雷&激しい雨)。
うちの芝居の第二回公演「N.E.W. ~終わりなき世界~」を思い出したw
いきなり大きな雷の音とともに暗転。
お客さん、こんな気分だったのね……。
雷の音は低音ではなく高音のほうを強くしてたのが、うちとの違いか。
公演形態は、ミュージカルではないが、歌や踊りが所々に入り、うちの芝居の第三回公演「River of heaven」の形態に非常に似ている。
セリフは韓国語。日本語字幕は主に長いセリフのみ表示。
物語はロミオとジュリエットを大胆に脚色。
朝鮮王朝版になっており、エンディングが思いっきり違う。
まさに、うちの芝居の第二回公演。いや、第五回公演か。
大胆脚色と言ったが、きっと賛否両論あるとは思う。
私は無論好きw
既存の、ましてやシェークスピアの、となるといつもやる勇気が失せる
なんと全員死んでいくのだw
ラストのロミオの父(相変わらず最後にしか出てこない)のセリフは
「刀を受けろ。すべて殺し、種を絶やすのだ」
↓
セリフ直後、全員によるスローモーション的な舞い。
↓
一人、また一人斬られていき、ゆっくり倒れていく。
↓
やがて斬っていた男三人の動きが止まり、
地面に溢れかえる死体の山。
↓
そのまま、照明フェードアウト。
この際の照明の色はうちと同じく、やはり青!
舞いとスローモーションの動きをする役者の肉体が、美しさと儚さを兼ね備えていた。本当に素晴らしかった。
暗転していく中、たぶん私だけだと思うが、声を殺しながら笑っていた。
うちの劇団の様々なレベルが上がった版と言っても過言ではないからだ。正直、ここまで近いのは観たことない!
つまりは理想形態だったということ。
うちの芝居は難解だと言われるが、その逆も居る。
つまり、難解って言われるほどではないと言う人は居るが、難解だと言う人も居るわけだ。
しかし今回観た作品はロミオとジュリエット。
言葉は韓国語であり、日本語字幕は長いセリフの部分しか出てこない。
だが、バレエやオペラみたいに物語を勉強している。
勉強しなくてもロミジュリなら誰もが知っている。
実に分かりやすい筋。
分かりやすいのもいいなぁと一瞬思った。
近年の日本の芝居は分かりやすいというか説明的すぎて、観客の想像力を殺していると言われるけどね……。
装置
実に簡易的。
段ボールで作った簡易パネル(石など)や
中割幕(舞台の奥を一時的に見せないための幕)代わりに大きな白いベッドシーツ。
このシーツは大きくするために大きな布を縫っており、その縫い目が目立って微妙ではあったが、最終的にそのまんまベッドシーツ(ロミオとジュリエットのラブシーン)になるので問題なし。
材で組んでいたのは屋敷くらいだが、それも簡素。
朝鮮版にしたのが効いたのだろうか。
どちらにせよ、役者の肉体をとても大切にしていたんだと思う。
趣向
<ロミオ&マキューシオ&ティボルトの決闘>
原作では噴水の場面。これをバスタブの中でやっていた。
殺陣というより、木の棒(木刀ではない)を剣に見立てて決闘をし、剣のぶつかり合いがリズムを生み出す。まさに音のエンターテインメント。
決闘を軽い遊びのように見せておき、ロミオが止めに入ったときにグサリ……。
明暗はっきりした演出だった。
そして最終的にマキューシオの死体を乗せたバスタブは、霊柩車となって彼を運んでいく。
うちの第三回公演の仮面みたいw
やっぱ見立てって大事だし、演劇の醍醐味よね。
<ラブシーン>
ジュリエットの着物の上着!?に手をかけ、ゆっくりとそれを取るロミオ。
緊張感たっぷりで美しいシーン。
しかし野獣となったロミオは次に衣服を脱がそうとする。
照れるジュリエットは髪飾りを取らす。
ロミオは今度こそ……と脱がそうとするが、先に靴下(足袋!?)を取れとジュリエットに足を突き出される。
これはジュリエットの照れとロミオへのいたずら(焦らし)だろう。
ジュリエットは足袋を脱げないように抵抗し、ロミオを必死に脱がそうとする。
部屋の明かりはろうそく一本。
マッチを自分の胸元に隠し、ろうそくの火を消すジュリエット。
火をつけようとするロミオ、マッチを探す。
ジュリエットとロミオの追いかけっこ。
だるまさんが転んだやら、畳何畳もある大きなベッドシーツをぐるぐる自分の身体に巻き付けたり……。
そしてそのうち、朝になってしまう。
ジュリエット役は美人だが、あどけなさが残るような演技。
それが大人と子供の境界線をあいまいにしており、とてもGOOD!
ロミオはお馬鹿。本当に子供って感じ。
緊張感溢れるラブシーンがいつの間にか笑えるラブシーンに……。
笑いはさほど起きてないにしろ、とても良い演出でした。
<エンディング>
少し上のほうに書いたので個人的な印象を。
向こうの人達は民族・家族など血を大切にする。
それゆえにその血を汚した者は許さない。
日本人と結婚するな、北朝鮮人とは尚更だ、というくらい韓国人は厳しいらしい。
在日が向こうに行くと、なぜ母国語を話せないんだといじめられる。
在日は日本でもいじめられる中途半端な存在だと、つかこうへいが言ってたのを覚えてる。
血という物に固執する彼ら。
若い二人の死体を見て手を取り合うどころか、結婚してたなんて願い下げだなどと怒り狂い、「種を絶やす」というセリフを一番最後に持ってきたのに、私は笑った。
笑った理由を、劇形式が似ていたとか、理想だとか、って上のほうでは書いたけど、本当のところ、私は
『親は子が自分より先に死ぬことを恐れると良く聞く。その親が子供を亡くして悲しむより、血を大切にし相手といがみ合い、殺し合う。報復の連鎖。戦いは終わらない。原作は綺麗事なのか。いや当時は報復なんてなかったのか。それより俺はなぜああいう作品を創るんだろう。狂ってる。狂ってるのは僕じゃなくて周りなのか』
とか思ったのか。
そういや、第五回公演「喫茶カーニバル」のアンケートに「面白かったけど、狂ってる」という言葉が何枚かあった。
あの作品はそれを意識してたけど、狂ってるのを面白がる人と私はそれくらい狂い度が違うのだろうか。
うちの劇団員は私の狂い度に良くついてきてくれるなぁと
私は表面では笑っているが本当は心では泣いているのかもしれないな。
良くも悪くもうちの劇団の作風が今回観た作品に非常に似ていたのは、どこか私の中の半分を占めている朝鮮の血がそうさせているのではないか。
私の忘れたくても忘れられない、忘れてはならない過去はその作風を作る上での要因の一つでしかなく、
大半は私の中の血が、DNAが、そうさせているのではないか。
一日経って、冷静になって書いてたんだけど、文章乱れまくってる。
だけど、このまま載せる。
書ききれないわw
読んでくれた人、ありがとう。
あと上演時間は一時間半くらい。
PR
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★俺も予定に入れてたのに(>_<)
NAME: 全
行ったんだ!! 俺めっちゃ迷ってたんですよ。最後が死体の山になるのを自分の目で確認したくてね。しかし、日曜につかさんのにも行き、月曜木花の予定が、寝過ごした。まじ残念。 感想長すぎます、携帯では最後まで読むのつらいっす(冷汗)また改めて読みます、まぁ直で聞くと思うけどね。 ちなみにつかさんの入れなかったから、無料でモニターで見せてもらいました。生じゃないのは残念だったけど、やっとつかさんのを見れた!
★うふふ、長いね……
NAME: RADY
確実に良かった。
近さんとトモハルがどう思ったかは良く分からんが、ここに反応ないしね……。
でも俺は少なくとも良かった。
う~ん、
つかさんは蒲田行進曲に賭けるw
よって今回はパス。
まぁ、色々裏事情聞いてたんで……
近さんとトモハルがどう思ったかは良く分からんが、ここに反応ないしね……。
でも俺は少なくとも良かった。
う~ん、
つかさんは蒲田行進曲に賭けるw
よって今回はパス。
まぁ、色々裏事情聞いてたんで……
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