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PARCO劇場 in 渋谷
チケット7500円。
(↑地元のファミリーマートで当日の午後三時半に購入。席は、近さんはE-04、私はE-05)
午後七時より約二時間。休憩なし。
再演物。
既存戯曲物。
(↑作:マーティン・マクドナー 訳:目黒条)
チケット7500円。
(↑地元のファミリーマートで当日の午後三時半に購入。席は、近さんはE-04、私はE-05)
午後七時より約二時間。休憩なし。
再演物。
既存戯曲物。
(↑作:マーティン・マクドナー 訳:目黒条)
<開演前>
客席、思ってたより空いてた。
日曜日明けたばかりの平日だし、こんなもんか?
自分の席の一つ後ろでやたらうるさく話している、おっちゃん&若い女。
「教員」と「助手 or 教え子」か。
「批評家」と「お付きの者」か。
嫌でも聞こえてくる会話からしてただ者ではない様子。
途中、「サッカーで寝不足なんで寝てたら叩き起こしてくれ」と女の子に頼んでた。
そんな彼ら、芝居が始まる客電OUT中もぎりぎりまでしゃべってましたよ。
<舞台美術>
圧巻。金かかってる。
舞台中央に石造りの古びた「一軒家」。
↑主にそこで芝居は展開。中盤以降は場面が限定されるため、この一軒家は丸ごと前へスライドする仕掛けに……。
それ以外の場面↓
ゴツゴツした岩、荒廃した大地が舞台上に再現され、
舞台下手奥から前へ、そこから中央前を通って上手前まで(最終的に客席通路へ)を「外の道」。
「別アジト!?」は舞台前面ALL。
<演出>
場面転換はその都度暗転の形式。異様に長い暗転。その際、全て大音量で音楽が流れる。
明転すると、突然縄でつられた役者が居たり、突然装置である家が前面にスライドしたり、突然ばらばら屍人形が至る所に点在していたりと、突然視覚効果ネタ満載!
セリフ回しは(極めて)リアリズム演劇(に近い)。
小道具の空気銃一丁と火薬銃数丁。実際の生音が響く。
猫や人間の屍人形やらにはもちろん血糊。
愛猫の死に怒り狂う男パドレイクの椅子に座ってのやや長い猫との思い出を語るセリフのみ、スポット当てず照明変化(光量やや下げ)。
他の人の別室!?での会話の場合は舞台上大した変化ないが、スポットは当ててた気がする。
<照明>
ナチュラル型。激しい変化なし。
唯一個人的好みにはまった照明プラン↓
麻薬売人をパドレイクが拷問している別アジト!?の場面。
場面を成立させるための舞台前面のみに当てる光。
縄に吊られた麻薬売人がゆっくり回っているのに同期するようにシーリング(天井)の一つがくるくる回転。
売人より少し離れた所に腰を下ろしているパドレイクに当たる光。
色合いやら当て方がGOOD!
<ジャンル>
バイオレンスブラックコメディ
<物語概要(パンフより)>
舞台はアイルランド。超過激反政府組織(INLA)のマッドな男、パドレイク(高岡蒼輔)の愛猫ウィー・トーマスの死骸が発見された。知らせを受けたパドレイクは、ドラッグの売人の拷問を放り出し、イニシュモア島にある実家に向かう。一方パドレイクの凶暴ぶりをよく知る父親(木村祐一)や幼馴染のデイヴィー(少路勇介)は猫殺害の事実を隠そうと必死!しかしふたりのオマヌケぶりはパドレイクの怒りの炎に油を注いでしまう。さらにパドレイクのクレージーな仲間や、デイヴィーの妹で彼に恋する過激な女の子マレード(岡本綾)が登場し、事態はとんでもない方向に転がり始める。
<個人的見解>
小劇場的ノリを商業演劇の場へ無理やり持ち込んだように見える。
客層を考え、軽くしたのだろうか。聞いていたほど、グロくなかった。生々しくもなかった。パルコの初演のはグロ演出が不評で後方かなりの空席だったようだし、それもあるのだろうか。
役者の言い直し&咬みはやっぱり気になりますね。
人のこと言えませんが……。
猫殺しの濡れ衣を着せられた男の人、三回くらいやりましたよ。最後のほうのいいシーンでも一回。
異様に長い暗転は仕方ないにしろ、その転換中の音などを掻き消すためか音楽が大音量で流れるのは少々耳が痛かった。
問題は明転してからだ。C.I.(カット・イン)によって突然さらけ出される異様な光景。毎回、毎回は飽きる。飽きるというか、慣れるっていうか……。いや、面白いし、好きだけど、とにかくくどかった。
火薬銃の音がいちいちうるさい。あれ、人によってはサメル。目がサメル人と、芝居からサメル人……。
屍人形から腸を引っ張る所で笑いが出た回があったみたいだけど、うちの回はなかったなぁ。まぁ、他のグロらしき部分でブラックな笑いはもちろんあったし、私も笑ったけどねw
感情移入によるものでは決してない。うちの今回の芝居もそうだったけど、この芝居は感情移入出来ない芝居だと思う。
彼はパンフに海外の演出家のやったこの作品を観たときのことをこう書いてる。↓
『シーンがパッパッパッパッと、暗転して切り替わっていって、誰かのキャラクターに感情移入させたりはしない。観客が目の前で起こっているできごとをただ目撃していくような作りですね。そのやり方はあまり好きじゃないし、マクドナー作品って、いびつな、どこか欠落した人間たちの話だけれども、ちゃんとそこに感情移入できる部分があると僕は思っているので』
そりゃ、人間には根底に流れる感情やらそうなった境遇やらがある。そこにはもちろん感情移入できる。その部分をピックアップするのは大事なことだが、この戯曲の構造的に嫌でもシチュエーションが追加更新されていく。そしてそれにいちいち(当然だが)翻弄されるサブ・キャラクター達。感情移入をどの人物にもしながら描いていけば、それは均等、つまり平坦な物になるではないか。その作品を観て感情移入出来ないのは当然である。
彼は海外の演出家の「ウィー・トーマス」を観て感情移入出来なかったと嘆いているが、少なくとも海外の役者は客観的に分析した上で主観的に移入しながら造形していったはずだ。
さっき引用した文章のすぐ上にくっつく形で実はこの文章があった↓
『白人って!と思いましたね。残酷な場面とか差別用語とか、タブーによく笑うんですよ。ドライなんですよね、基本が』
私が観た日本の演出家の「ウィー・トーマス」の劇場内は差別用語では笑ってないけど、他は同じでしたよ。差別用語で日本人がなぜ笑わないか。それは社会背景を知らない。生活感覚が違う。etc……
もし感情移入をさせたかったのならば、今回の彼の演出は大失敗ではないだろうか。
色々あるが書くのめんどくなってきたんで一番単純なのを一つ……。それはブレヒトの異化効果。
火薬銃の音、空気銃で目をやられた人間が(蜷川幸雄演出のオイディプス王のように)血糊をたくさんつけながら誇張された演技で舞台上に現れる場面、そして最後の本物の猫。
それを証拠に……
後ろに座ってたお偉い!?おっさんが、芝居終わってすぐに吐いた言葉。
「この芝居、猫が一番良かった」
最後に出てきた本物の猫。作品全体のオチ(死んだはずの猫ウィー・トーマスは生きていた。その猫のためにたくさんの人が死んだというのに、猫は呑気に家に帰ってきたw)に必要不可欠な猫。おとなしくて人形のように思えた猫。まぁ、出てきて仕込んである餌喰ってたから本物だと思ったんだけど。確かに。その後じっと動かないから偽物だったのかって思えてたときにちょうどニャーって鳴いたからねぇ……。
長塚圭史の芝居については保留。
少なくともお金かけて色々遊んだ舞台だった、いい意味でも悪い意味でも……。視覚も聴覚も刺激はされたからねぇ……。刺激……。
うーん、まぁパルコだからっつーのもあるだろうけど、7500円は高い。5000円。5000円なら耐えられる。
若手演劇界ホープ!?と称される彼がエースになれる日はいつ来るのだろうか。
とりあえず私の彼に対する評価はまだ保留。
彼のオリジナル戯曲を無論彼の演出で上演されるのを見てから決めたいと思う。
ぶぅぶぅ書いたけど、まぁそれでもやっぱ凄いもんは凄いんですけどね。ただ、だからこそ正当に書いたつもりdeath。
客席、思ってたより空いてた。
日曜日明けたばかりの平日だし、こんなもんか?
自分の席の一つ後ろでやたらうるさく話している、おっちゃん&若い女。
「教員」と「助手 or 教え子」か。
「批評家」と「お付きの者」か。
嫌でも聞こえてくる会話からしてただ者ではない様子。
途中、「サッカーで寝不足なんで寝てたら叩き起こしてくれ」と女の子に頼んでた。
そんな彼ら、芝居が始まる客電OUT中もぎりぎりまでしゃべってましたよ。
<舞台美術>
圧巻。金かかってる。
舞台中央に石造りの古びた「一軒家」。
↑主にそこで芝居は展開。中盤以降は場面が限定されるため、この一軒家は丸ごと前へスライドする仕掛けに……。
それ以外の場面↓
ゴツゴツした岩、荒廃した大地が舞台上に再現され、
舞台下手奥から前へ、そこから中央前を通って上手前まで(最終的に客席通路へ)を「外の道」。
「別アジト!?」は舞台前面ALL。
<演出>
場面転換はその都度暗転の形式。異様に長い暗転。その際、全て大音量で音楽が流れる。
明転すると、突然縄でつられた役者が居たり、突然装置である家が前面にスライドしたり、突然ばらばら屍人形が至る所に点在していたりと、突然視覚効果ネタ満載!
セリフ回しは
小道具の空気銃一丁と火薬銃数丁。実際の生音が響く。
猫や人間の屍人形やらにはもちろん血糊。
愛猫の死に怒り狂う男パドレイクの椅子に座ってのやや長い猫との思い出を語るセリフのみ、スポット当てず照明変化(光量やや下げ)。
他の人の別室!?での会話の場合は舞台上大した変化ないが、スポットは当ててた
<照明>
ナチュラル型。激しい変化なし。
唯一個人的好みにはまった照明プラン↓
麻薬売人をパドレイクが拷問している別アジト!?の場面。
場面を成立させるための舞台前面のみに当てる光。
縄に吊られた麻薬売人がゆっくり回っているのに同期するようにシーリング(天井)の一つがくるくる回転。
売人より少し離れた所に腰を下ろしているパドレイクに当たる光。
色合いやら当て方がGOOD!
<ジャンル>
バイオレンスブラックコメディ
<物語概要(パンフより)>
舞台はアイルランド。超過激反政府組織(INLA)のマッドな男、パドレイク(高岡蒼輔)の愛猫ウィー・トーマスの死骸が発見された。知らせを受けたパドレイクは、ドラッグの売人の拷問を放り出し、イニシュモア島にある実家に向かう。一方パドレイクの凶暴ぶりをよく知る父親(木村祐一)や幼馴染のデイヴィー(少路勇介)は猫殺害の事実を隠そうと必死!しかしふたりのオマヌケぶりはパドレイクの怒りの炎に油を注いでしまう。さらにパドレイクのクレージーな仲間や、デイヴィーの妹で彼に恋する過激な女の子マレード(岡本綾)が登場し、事態はとんでもない方向に転がり始める。
<個人的見解>
小劇場的ノリを商業演劇の場へ無理やり持ち込んだように見える。
客層を考え、軽くしたのだろうか。聞いていたほど、グロくなかった。生々しくもなかった。パルコの初演のはグロ演出が不評で後方かなりの空席だったようだし、それもあるのだろうか。
役者の言い直し&咬みはやっぱり気になりますね。
人のこと言えませんが……。
猫殺しの濡れ衣を着せられた男の人、三回くらいやりましたよ。最後のほうのいいシーンでも一回。
異様に長い暗転は仕方ないにしろ、その転換中の音などを掻き消すためか音楽が大音量で流れるのは少々耳が痛かった。
問題は明転してからだ。C.I.(カット・イン)によって突然さらけ出される異様な光景。毎回、毎回は飽きる。飽きるというか、慣れるっていうか……。いや、面白いし、好きだけど、とにかくくどかった。
火薬銃の音がいちいちうるさい。あれ、人によってはサメル。目がサメル人と、芝居からサメル人……。
屍人形から腸を引っ張る所で笑いが出た回があったみたいだけど、うちの回はなかったなぁ。まぁ、他のグロらしき部分でブラックな笑いはもちろんあったし、私も笑ったけどねw
感情移入によるものでは決してない。うちの今回の芝居もそうだったけど、この芝居は感情移入出来ない芝居だと思う。
彼はパンフに海外の演出家のやったこの作品を観たときのことをこう書いてる。↓
『シーンがパッパッパッパッと、暗転して切り替わっていって、誰かのキャラクターに感情移入させたりはしない。観客が目の前で起こっているできごとをただ目撃していくような作りですね。そのやり方はあまり好きじゃないし、マクドナー作品って、いびつな、どこか欠落した人間たちの話だけれども、ちゃんとそこに感情移入できる部分があると僕は思っているので』
そりゃ、人間には根底に流れる感情やらそうなった境遇やらがある。そこにはもちろん感情移入できる。その部分をピックアップするのは大事なことだが、この戯曲の構造的に嫌でもシチュエーションが追加更新されていく。そしてそれにいちいち(当然だが)翻弄されるサブ・キャラクター達。感情移入をどの人物にもしながら描いていけば、それは均等、つまり平坦な物になるではないか。その作品を観て感情移入出来ないのは当然である。
彼は海外の演出家の「ウィー・トーマス」を観て感情移入出来なかったと嘆いているが、少なくとも海外の役者は客観的に分析した上で主観的に移入しながら造形していったはずだ。
さっき引用した文章のすぐ上にくっつく形で実はこの文章があった↓
『白人って!と思いましたね。残酷な場面とか差別用語とか、タブーによく笑うんですよ。ドライなんですよね、基本が』
私が観た日本の演出家の「ウィー・トーマス」の劇場内は差別用語では笑ってないけど、他は同じでしたよ。差別用語で日本人がなぜ笑わないか。それは社会背景を知らない。生活感覚が違う。etc……
もし感情移入をさせたかったのならば、今回の彼の演出は大失敗ではないだろうか。
色々あるが書くのめんどくなってきたんで一番単純なのを一つ……。それはブレヒトの異化効果。
火薬銃の音、空気銃で目をやられた人間が(蜷川幸雄演出のオイディプス王のように)血糊をたくさんつけながら誇張された演技で舞台上に現れる場面、そして最後の本物の猫。
それを証拠に……
後ろに座ってたお偉い!?おっさんが、芝居終わってすぐに吐いた言葉。
「この芝居、猫が一番良かった」
最後に出てきた本物の猫。作品全体のオチ(死んだはずの猫ウィー・トーマスは生きていた。その猫のためにたくさんの人が死んだというのに、猫は呑気に家に帰ってきたw)に必要不可欠な猫。おとなしくて人形のように思えた猫。まぁ、出てきて仕込んである餌喰ってたから本物だと思ったんだけど。確かに。その後じっと動かないから偽物だったのかって思えてたときにちょうどニャーって鳴いたからねぇ……。
長塚圭史の芝居については保留。
少なくともお金かけて色々遊んだ舞台だった、いい意味でも悪い意味でも……。視覚も聴覚も刺激はされたからねぇ……。刺激……。
うーん、まぁパルコだからっつーのもあるだろうけど、7500円は高い。5000円。5000円なら耐えられる。
若手演劇界ホープ!?と称される彼がエースになれる日はいつ来るのだろうか。
とりあえず私の彼に対する評価はまだ保留。
彼のオリジナル戯曲を無論彼の演出で上演されるのを見てから決めたいと思う。
ぶぅぶぅ書いたけど、まぁそれでもやっぱ凄いもんは凄いんですけどね。ただ、だからこそ正当に書いたつもりdeath。
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