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千秋楽に行った。
蜷川幸雄に熱があった昔の私ですら行ったことがないと言うのに、だ。
カーテンコール二回目のみ、
途中演出家本人が出てきて、その瞬間に銀色の紙吹雪……。
おじきしたらそそくさ、先に幕裏に一人で消えたけどね^^;
出てこなくていいのではないでしょうか?
ファンサービスかな?
というかカーテンコールは基本的に嫌いです、余韻も糞もないから……。
そういう芝居ならいいんですけどね。
まぁ、商業演劇ならしないとまずいっすけどね。
外に並んで「ありがとうございました!」とか出来ないものね。
ってなぜにカーテンコール批判!?w
あっ、あと日芸ミュー研の同期のアキちゃんも立ち見に並んでいたのにびっくり☆
彼女は三上さんが好きだったみたいだ、うむうむ……。
ってまた関係ないこと書いたねw
さて、いい加減、独断と偏見に満ちた私の感想などを書くとするか。
そう、あくまで感想なのです。
ちゃんとした劇評ではないので悪しからず。
感想と劇評をごっちゃにする人が多いので……。
ていうかまあ、読む人からすればどっちでもええんかなぁ……。
蜷川幸雄に熱があった昔の私ですら行ったことがないと言うのに、だ。
カーテンコール二回目のみ、
途中演出家本人が出てきて、その瞬間に銀色の紙吹雪……。
おじきしたらそそくさ、先に幕裏に一人で消えたけどね^^;
出てこなくていいのではないでしょうか?
ファンサービスかな?
というかカーテンコールは基本的に嫌いです、余韻も糞もないから……。
そういう芝居ならいいんですけどね。
まぁ、商業演劇ならしないとまずいっすけどね。
外に並んで「ありがとうございました!」とか出来ないものね。
ってなぜにカーテンコール批判!?w
あっ、あと日芸ミュー研の同期のアキちゃんも立ち見に並んでいたのにびっくり☆
彼女は三上さんが好きだったみたいだ、うむうむ……。
ってまた関係ないこと書いたねw
さて、いい加減、独断と偏見に満ちた私の感想などを書くとするか。
そう、あくまで感想なのです。
ちゃんとした劇評ではないので悪しからず。
感想と劇評をごっちゃにする人が多いので……。
ていうかまあ、読む人からすればどっちでもええんかなぁ……。
芝居について
あわれ彼女は娼婦
演出:蜷川幸雄
原作:ジョン・フォード
翻訳:小田島雄志
<観劇席>
3Fの立ち見席、下手側の最後尾
3000円
午前11時45分くらいには着いたと思うんだが、既に階段の上までずらりと並んでいた。日曜日だし、千秋楽だし、そりゃ当然か。チケット販売は開演の一時間前(つまり午後1時)、だが少しおした(遅れた)か?
列が進んでいく中、階段で眠っている男の人発見。
誰も起こさず、ずかずか抜かしていく……。
「どうなのよ、それ?」と思ったんで迷わず俺が起こしてあげました。
他の人の心理からすれば、自分がよりいい席買えればそれでいいなんて考えてるのかなぁ。
なんかまじ、人間死んじゃえって思った瞬間よ……。
でも核ミサイルが飛んでくるの分かったらシェルター争奪戦が始まるだろう。そしたら無論、私もそれに加わるだろうけど……。
ああ、それでも自分の大切な者はもちろん、見ず知らずの子供だけは助けると思う。あっ、助けに行くとまでは言ってないよ? シェルターに向かう途中でかっさらって、自分と一緒に駆け込むタイプw
<上演時間>
1幕 1時間40分
休憩 15分
2幕 1時間15分
<作者:ジョン・フォードと今回の作品>
西部劇映画で一世を風靡した映画監督とは全く関係ない。
今回の作品は、<許されざる恋>をテーマにした「ロミオとジュリエット」と関連づけて語られている。
その理由は二つ。
一つは、シェイクスピアと同時代(400年近く前)のイングランドの劇作家で、シェイクスピアを常に意識していたから。
もう一つは、ジョン・フォードの資料があまり残ってないから。
ううむ、確かに今回のこの作品、「ロミオとジュリエット」っぽさがあった。それだけシェイクスピアの影響力は凄かったのだろう……
ロミジュリと違うのは、<許されざる恋>のレベルだ。
ロミジュリの『仇同士の家に生じた許されざる純愛』に対し、
この作品は『実の兄と妹の激しくも壮絶な禁断の愛(近親相姦)』を描いている。
発表当初から大きな反響を呼んだ作品だったようだ。
<舞台装置(セット)など>
相変わらず豪勢! 装置、衣装、照明、どれも金の掛け方が半端ないw
ただ褒められるべき部分としては極めてシンプルだったことだ。
スケールはでかいが、シンプル。
やっぱこれに限るね。
装置は、
半円状の壁(厳かな神殿っぽいイメージの二階建て)。
その一階部にも二階部にも至る所(ほぼ全面)に大きな扉(というか窓!?)があり、その部分は木の扉になったり白い布(というかカーテン!?)になったりとシーンが替わる度に切り替えられた。
木の扉の時は建物の外観を、白いカーテンが垂らされた時は室内を表している。
しかもその白いカーテンに風を当てることで、ゆらゆら(というかふわふわ)揺らし、不穏な!?空気を表現してたと思う。
また、天井から床まで(微妙に斜めに様々な角度を付けてたけど)真っ直ぐに赤い糸が何十本も張られていた。
テーマである「血」とか「柵」とかを表現したらしい。
照明は、
その扉の細い隙間を通して奥から光を漏らして舞台中央辺りの床に美しい模様を作ったり、木漏れ日のようなものを表現したり、二階の壁の中央の扉だけ開けてそこに人を立たせて後ろから光を当てて床に人のシルエットを作ったり……。
音(あえて音響とは書かない、それ以外も含めて音とした)は、
美しくもの悲しい宗教色たっぷりのBG。
ゲージがちょっと大きくて役者の声聞こえない所あったが、選曲は私好みでしたw
あと、二幕後半に生声でやはり宗教色たっぷりな曲を歌うのだがやっぱいいね^^
そういえば生弾きってほどのことでもないが、チェンバロを弾いてたな。
あとはダンスか。
パーティーの席で女性達が仮面か何かを顔に付けてバレエや社交ダンスっぽいことをしてた。
そういうシーンだから使うの当然なんだけど、アーノルド・ウェスカー作「キッチン」の演出ん時も使ってたし……。
シェイクスピア作「ロミオとジュリエット」の演出ん時は印象薄いなぁ。踊ってたっけ~? まぁいいやw
<感想>
男「クライマックスの殺陣しょぼくなかった? なんか中途半端なスローモーションに見えたんだよ」
女「金属質の物だったから重かったんじゃない? それに勢いよく振り回したら危ないじゃない」
男「でも明らかにいつもの蜷川スローモーション演出とは違ったんだよな。斬られる人達はスローではなかった気がした」
女「斬り合う人だけクローズアップしたかったからよ、きっと」
男「うーん、迫力も糞もないね。狂気じみた人間がそこに居るほとんどの者を殺していく際、惨劇なはずなのに滑稽に見えてしまったんだから」
女「三上博史のやったジョヴァンニって書に読みふけった武道には縁のない学者肌の人なんでしょ? そんな人が勢いよく斬っていくのはおかしいんじゃないの?」
男「でも愛した妹を殺した上、殺した際に使った剣に妹の心臓だけ突き刺してパーティーの場に現れたジョヴァンニがさ、妹の夫やパーティーに招待された人達をめった斬りにしていくんだぜ?」
女「うーん、それもそうね……」
男「あと全然関係ないけど、悪事というか不正を働いて身内の悪事に目をつむった枢機卿は殺してほしかったなぁ」
女「あっ、枢機卿と言えば、その人の最後のセリフで芝居は終わったじゃない? あわれ彼女は娼婦と……って」
男「あれ、声小さかったなぁ、なんかボソッて感じだったね^^;」
女「そうそう、その直前のセリフあったじゃない? ほら、暴走するジョヴァンニを殺して無事ソランゾ(アナベラの夫)の仇を討った召使に」
男「国外追放だと処罰を言い渡した時の声のほうが大きかったって言いたいんだろ?」
女「うん、何か変だったよね」
男「それより妹アナベラの心臓を剣に突き刺して現れたジョヴァンニの行動、あれ、どう思う? あの焼き鳥みたいな感じのさ」
女「ああ、妹の心臓かじっちゃう演技? 愛していたんだよね? でも裏切られたとかとも言ってるし……」
男「愛が歪んだ形としてならいいのかな? まさに狂気だし……。でもなんか唐突だったんだよなぁ」
女「心臓刺さった剣持って現れる前のシーンのせいじゃない?」
男「かもな、妹が兄と抱き合ってそのまま刺されるそのシーンが美しかったからなぁ」
女「だから突然、心臓が出てきた時はびっくりしたし……。うーん、唐突っちゃ唐突だったかも……」
男「心臓ネタでもう一つ。最後、ジョヴァンニ死ぬじゃん、机の上でさ。その時、妹の心臓突き刺さった剣を抱えて死ぬじゃん。片方の腕は机の下にぶらんとなって……」
女「心臓隠れちゃったね」
男「あれって隠したのかな? 個人的には胸と机の間に隠すより、ぶらんとなったほうの手で握りしめていてくれたほうが良かったと思う」
女「絶命しても離さないって感じね?」
男「ところで国外追放されたソランゾの召使ヴァスケスの、イタリアとスペインの確執の話どうだったよ?」
女「それこそ、唐突だった気がするわ」
男「まあ、作品が作られたその時代のその国で上演されたなら問題ないのんかなぁ」
女「そういうものかしら……」
男「深津絵里の演じたアナベラはどうだった?」
女「始めのほうの純粋無垢な感じと、中盤とのギャップは凄かったね」
男「ああ、兄の子を宿しているアナベラと、妻の不義を知ったソランゾとの言い争いのシーンか」
女「うん。胎内の我が子を慰めるかのように、そこに居ない愛しい兄に必死で呼びかけるかのように、歌うアナベラが特に印象的だったわ」
男「確かに……。でも始めのほうでお互いの気持ちが分かって初夜を迎えた前後の幸せ感が全然足りなかった気がする」
女「それもそうね……。まあ、NODA・MAP(野田秀樹)の芝居の時とは全く違う一面が見れたし良しとしようよ」
男「ギャップの話なら、始めと終わりでギャップがあり、しかも唐突でなく極めて自然に感じたのは、谷原章介の演じたソランゾだと思う。さっきのシーン、誠実で美丈夫の求婚者だったソランゾが妻の不義を知って冷酷な復讐を決意するところね」
女「うーん、確かに唐突な部分とかあったけど、三上博史の演じたジョヴァンニも好きよ。セリフが情感に溢れてたし、激情を叩きつけるかのようなところも良かったわ」
男「かなり存在感があったね。でも一本調子気味に感じた部分もあったな、ジョヴァンニもアナベラも……。まあ、それよりもやっぱさっきも言ったけど、短時間だとはいえ、その幸福な時の表情が二人とも硬かったのは残念だね」
女「存在感と言っていいのか分からないけど、一幕で凄く活躍してた人居たよね?」
男「高橋洋の演じたバーゲットのことかな?」
女「バーゲットと言うより野田秀樹だよね? 蜷川さん、意識したのかしら……」
男「どうだろう、何かありえそうで笑えるけど……」
女「キャラクター全開だったよね。ハイテンションなおかっぱ。近さんは漫画ワンピースに出てくるヘルメッポって言ってたね」
男「言ってた、言ってた。バレエの真似事もやってたよね。ギャグみたいな感じで……」
女「ああいう、いちいちいちいち細かいことするのとか、ちょこまか走り回ってやたらめったら叫んでるのが野田秀樹っぽかったのかしら?」
男「うーん、どうだろ……。一幕の終わりのほうで死んじゃったけど、二幕に入るまでの休憩時間、パンフレットやたら皆めくってたけど、きっと彼のページを見てたんじゃないかな」
女「きっとね。だって印象強いもん」
男「脚本的にもあの役に救われたところは多々あっただろうね。重苦しいテーマやら展開になる中、唯一のコメディリリーフだったわけだし」
女「重苦しいで思い出したんだけど、内容の濃さに役者のテンションがついていけてない感があったかも……」
男「うーむ、怒りと喜びの振れ方が少し甘かったかもね。だから悲劇って難しいんだよ」
女「脚本というより、演出または衣装・メイクの観点だと思うんだけど……」
男「何が?」
女「ほら、アナベラってさ、ジョヴァンニのことを天使のごとく崇めてたじゃない? 夫との口喧嘩のシーンでさ」
男「あぁ、言ってたね、確か兄のことを天使のような姿だとか……」
女「その割には三上博史のジョヴァンニがどうしてもワイルドにしか見えなくて……、ビジュアルがね……」
男「うーん、確かに……。狂気のシーンでは合ってたとは思うけどね。まぁ、聖母マリアのパロディー的要素もあったのかもしれないな。アナベラが誰の子を妊娠したのかはずっと隠し続けてたわけだし」
女「なるほどね。宗教とかパロディーで思い出したけど、最期の惨劇のシーンはまさに最期の晩餐だったね」
男「他に言いたいことあるだろうけど、そろそろ終わりにしたいなぁ。何か言うべきことあるかい?」
女「舞台が広いからっていうのと、三階から見たっていうのもあるだろうけど、一番最初の暗闇の中で客席通路でセリフを言ってる瑳川哲朗の演じる修道士の声、聞き取りにくかったね」
男「うん、何言ってるか全く分からなかったな。まあ、最初のうちは耳が慣れないから仕方ないかもね……」
女「あなたは言いたいこと、何かある?」
男「そうだな、じゃあ最後に脚本について。ウィリアム・シェイクスピア vs ジョン・フォード、どっちに軍配をあげる?」
女「うーん、フォードも面白かったけど、やっぱりシェイクスピアかしら……」
男「だよな? ロミジュリの場合、仇同士の家の純愛。あわれ娼婦の場合、近親相姦。そういう意味ではあわれ娼婦のほうが禁断レベルは高い。ただ、禁断の究極であるが故、主人公の行動が愚かというか浅はかというかそんな感じにも見えてくる。だから物語として観た場合、あわれ娼婦のほうが感情移入しにくいと思う」
女「なるほどね……」
男「あと、主人公の周りにいる登場人物のキャラクターがシェイクスピアの様々な作品のキャラクターに見えてくる。確かに、ハリウッド映画やディズニー映画、他にも感情移入型の物語には類型がある。キャラクターのマニュアルが存在しており、それから少しでも外れると作品化出来ないと言われるくらいの法則とされている。シェイクスピアの時代にもあったのだろうか。フォードが意識していたからというだけではなく、当時それほどシェイクスピアは大成功した人物なのかもしれない」
女「うーん、それはどうか分からないけど、嫉妬に狂うソランゾなんかはオセローに出てきそうね」
男「殺すつもりのなかった相手を殺してしまうってのはハムレットのポローニアスの死を連想するね」
女「頭の弱いバーゲットは十二夜のアンドリューだし、アナベラと一緒に居た乳母はそのまんまロミジュリかな?」
男「お嬢様の最大の理解者だと言って禁断の愛を止めない点はまさにそうだね。だけど乳母に関してはロミジュリにもなってない、というかロミジュリを超えてないと言ったほうがいいかもしれない。最大の理解者と言っておきながら、結局アナベラの腹の子が誰の子が言ってしまうのだから……」
女「それもそうね……」
男「あと、シェイクスピアと全然変わらない設定として、若者に知恵を施す神父(あわれ娼婦の場合は修道士)や、過保護に育てているつもりの(つまり他人任せで子供のことを理解してない)親も挙げられるだろうな」
女「まぁあわれ娼婦に関しては、ロミジュリに展開も似てたしね」
男「シェイクスピアは言葉遊びが巧みだった。もちろん、フォードにも多少それは見られたけどね。小田島雄志さんの訳だから、あえて彼がシェイクスピアに似せて訳したのか、本当に韻を踏んでいたのかは分からないけどね」
女「音としても楽しめるのはシェイクスピアのほうってわけね?」
男「まぁね……。あと、展開で言うなら結末の惨劇(大量殺戮)はタイタス・アンドロニカスだったね」
女「ね……」
男「今の話で思い出したんだけど、配役は面白かったね」
女「2004年末の日生劇場のロミジュリの時と比べてるわね?」
男「ああ。ジュリエットの乳母を演じた梅沢昌代がアナベラの乳母だったし、神父を演じていた嵯川哲朗がジョバンニに様々なアドバイスを与える修道士だったんだぜ?」
女「確かにそう比べると面白いわね? 脚本はシェイクスピアに軍配を上げるってことは、蜷川演出ももちろんロミジュリのが良かったのかな?」
男「いや、蜷川演出ならあわれ娼婦のほうが良かったよ。メリハリがしっかりしてたしね。ロミジュリは何か凄く長く感じた^^;」
女「ふーん」
書くの凄く疲れたぁ……
自分の今後の参考になるからいいんだけどさ……
あわれ彼女は娼婦
演出:蜷川幸雄
原作:ジョン・フォード
翻訳:小田島雄志
<観劇席>
3Fの立ち見席、下手側の最後尾
3000円
午前11時45分くらいには着いたと思うんだが、既に階段の上までずらりと並んでいた。日曜日だし、千秋楽だし、そりゃ当然か。チケット販売は開演の一時間前(つまり午後1時)、だが少しおした(遅れた)か?
列が進んでいく中、階段で眠っている男の人発見。
誰も起こさず、ずかずか抜かしていく……。
「どうなのよ、それ?」と思ったんで迷わず俺が起こしてあげました。
他の人の心理からすれば、自分がよりいい席買えればそれでいいなんて考えてるのかなぁ。
なんかまじ、人間死んじゃえって思った瞬間よ……。
でも核ミサイルが飛んでくるの分かったらシェルター争奪戦が始まるだろう。そしたら無論、私もそれに加わるだろうけど……。
ああ、それでも自分の大切な者はもちろん、見ず知らずの子供だけは助けると思う。あっ、助けに行くとまでは言ってないよ? シェルターに向かう途中でかっさらって、自分と一緒に駆け込むタイプw
<上演時間>
1幕 1時間40分
休憩 15分
2幕 1時間15分
<作者:ジョン・フォードと今回の作品>
西部劇映画で一世を風靡した映画監督とは全く関係ない。
今回の作品は、<許されざる恋>をテーマにした「ロミオとジュリエット」と関連づけて語られている。
その理由は二つ。
一つは、シェイクスピアと同時代(400年近く前)のイングランドの劇作家で、シェイクスピアを常に意識していたから。
もう一つは、ジョン・フォードの資料があまり残ってないから。
ううむ、確かに今回のこの作品、「ロミオとジュリエット」っぽさがあった。それだけシェイクスピアの影響力は凄かったのだろう……
ロミジュリと違うのは、<許されざる恋>のレベルだ。
ロミジュリの『仇同士の家に生じた許されざる純愛』に対し、
この作品は『実の兄と妹の激しくも壮絶な禁断の愛(近親相姦)』を描いている。
発表当初から大きな反響を呼んだ作品だったようだ。
<舞台装置(セット)など>
相変わらず豪勢! 装置、衣装、照明、どれも金の掛け方が半端ないw
ただ褒められるべき部分としては極めてシンプルだったことだ。
スケールはでかいが、シンプル。
やっぱこれに限るね。
装置は、
半円状の壁(厳かな神殿っぽいイメージの二階建て)。
その一階部にも二階部にも至る所(ほぼ全面)に大きな扉(というか窓!?)があり、その部分は木の扉になったり白い布(というかカーテン!?)になったりとシーンが替わる度に切り替えられた。
木の扉の時は建物の外観を、白いカーテンが垂らされた時は室内を表している。
しかもその白いカーテンに風を当てることで、ゆらゆら(というかふわふわ)揺らし、不穏な!?空気を表現してたと思う。
また、天井から床まで(微妙に斜めに様々な角度を付けてたけど)真っ直ぐに赤い糸が何十本も張られていた。
テーマである「血」とか「柵」とかを表現したらしい。
照明は、
その扉の細い隙間を通して奥から光を漏らして舞台中央辺りの床に美しい模様を作ったり、木漏れ日のようなものを表現したり、二階の壁の中央の扉だけ開けてそこに人を立たせて後ろから光を当てて床に人のシルエットを作ったり……。
音(あえて音響とは書かない、それ以外も含めて音とした)は、
美しくもの悲しい宗教色たっぷりのBG。
ゲージがちょっと大きくて役者の声聞こえない所あったが、選曲は私好みでしたw
あと、二幕後半に生声でやはり宗教色たっぷりな曲を歌うのだがやっぱいいね^^
そういえば生弾きってほどのことでもないが、チェンバロを弾いてたな。
あとはダンスか。
パーティーの席で女性達が仮面か何かを顔に付けてバレエや社交ダンスっぽいことをしてた。
そういうシーンだから使うの当然なんだけど、アーノルド・ウェスカー作「キッチン」の演出ん時も使ってたし……。
シェイクスピア作「ロミオとジュリエット」の演出ん時は印象薄いなぁ。踊ってたっけ~? まぁいいやw
<感想>
男「クライマックスの殺陣しょぼくなかった? なんか中途半端なスローモーションに見えたんだよ」
女「金属質の物だったから重かったんじゃない? それに勢いよく振り回したら危ないじゃない」
男「でも明らかにいつもの蜷川スローモーション演出とは違ったんだよな。斬られる人達はスローではなかった気がした」
女「斬り合う人だけクローズアップしたかったからよ、きっと」
男「うーん、迫力も糞もないね。狂気じみた人間がそこに居るほとんどの者を殺していく際、惨劇なはずなのに滑稽に見えてしまったんだから」
女「三上博史のやったジョヴァンニって書に読みふけった武道には縁のない学者肌の人なんでしょ? そんな人が勢いよく斬っていくのはおかしいんじゃないの?」
男「でも愛した妹を殺した上、殺した際に使った剣に妹の心臓だけ突き刺してパーティーの場に現れたジョヴァンニがさ、妹の夫やパーティーに招待された人達をめった斬りにしていくんだぜ?」
女「うーん、それもそうね……」
男「あと全然関係ないけど、悪事というか不正を働いて身内の悪事に目をつむった枢機卿は殺してほしかったなぁ」
女「あっ、枢機卿と言えば、その人の最後のセリフで芝居は終わったじゃない? あわれ彼女は娼婦と……って」
男「あれ、声小さかったなぁ、なんかボソッて感じだったね^^;」
女「そうそう、その直前のセリフあったじゃない? ほら、暴走するジョヴァンニを殺して無事ソランゾ(アナベラの夫)の仇を討った召使に」
男「国外追放だと処罰を言い渡した時の声のほうが大きかったって言いたいんだろ?」
女「うん、何か変だったよね」
男「それより妹アナベラの心臓を剣に突き刺して現れたジョヴァンニの行動、あれ、どう思う? あの焼き鳥みたいな感じのさ」
女「ああ、妹の心臓かじっちゃう演技? 愛していたんだよね? でも裏切られたとかとも言ってるし……」
男「愛が歪んだ形としてならいいのかな? まさに狂気だし……。でもなんか唐突だったんだよなぁ」
女「心臓刺さった剣持って現れる前のシーンのせいじゃない?」
男「かもな、妹が兄と抱き合ってそのまま刺されるそのシーンが美しかったからなぁ」
女「だから突然、心臓が出てきた時はびっくりしたし……。うーん、唐突っちゃ唐突だったかも……」
男「心臓ネタでもう一つ。最後、ジョヴァンニ死ぬじゃん、机の上でさ。その時、妹の心臓突き刺さった剣を抱えて死ぬじゃん。片方の腕は机の下にぶらんとなって……」
女「心臓隠れちゃったね」
男「あれって隠したのかな? 個人的には胸と机の間に隠すより、ぶらんとなったほうの手で握りしめていてくれたほうが良かったと思う」
女「絶命しても離さないって感じね?」
男「ところで国外追放されたソランゾの召使ヴァスケスの、イタリアとスペインの確執の話どうだったよ?」
女「それこそ、唐突だった気がするわ」
男「まあ、作品が作られたその時代のその国で上演されたなら問題ないのんかなぁ」
女「そういうものかしら……」
男「深津絵里の演じたアナベラはどうだった?」
女「始めのほうの純粋無垢な感じと、中盤とのギャップは凄かったね」
男「ああ、兄の子を宿しているアナベラと、妻の不義を知ったソランゾとの言い争いのシーンか」
女「うん。胎内の我が子を慰めるかのように、そこに居ない愛しい兄に必死で呼びかけるかのように、歌うアナベラが特に印象的だったわ」
男「確かに……。でも始めのほうでお互いの気持ちが分かって初夜を迎えた前後の幸せ感が全然足りなかった気がする」
女「それもそうね……。まあ、NODA・MAP(野田秀樹)の芝居の時とは全く違う一面が見れたし良しとしようよ」
男「ギャップの話なら、始めと終わりでギャップがあり、しかも唐突でなく極めて自然に感じたのは、谷原章介の演じたソランゾだと思う。さっきのシーン、誠実で美丈夫の求婚者だったソランゾが妻の不義を知って冷酷な復讐を決意するところね」
女「うーん、確かに唐突な部分とかあったけど、三上博史の演じたジョヴァンニも好きよ。セリフが情感に溢れてたし、激情を叩きつけるかのようなところも良かったわ」
男「かなり存在感があったね。でも一本調子気味に感じた部分もあったな、ジョヴァンニもアナベラも……。まあ、それよりもやっぱさっきも言ったけど、短時間だとはいえ、その幸福な時の表情が二人とも硬かったのは残念だね」
女「存在感と言っていいのか分からないけど、一幕で凄く活躍してた人居たよね?」
男「高橋洋の演じたバーゲットのことかな?」
女「バーゲットと言うより野田秀樹だよね? 蜷川さん、意識したのかしら……」
男「どうだろう、何かありえそうで笑えるけど……」
女「キャラクター全開だったよね。ハイテンションなおかっぱ。近さんは漫画ワンピースに出てくるヘルメッポって言ってたね」
男「言ってた、言ってた。バレエの真似事もやってたよね。ギャグみたいな感じで……」
女「ああいう、いちいちいちいち細かいことするのとか、ちょこまか走り回ってやたらめったら叫んでるのが野田秀樹っぽかったのかしら?」
男「うーん、どうだろ……。一幕の終わりのほうで死んじゃったけど、二幕に入るまでの休憩時間、パンフレットやたら皆めくってたけど、きっと彼のページを見てたんじゃないかな」
女「きっとね。だって印象強いもん」
男「脚本的にもあの役に救われたところは多々あっただろうね。重苦しいテーマやら展開になる中、唯一のコメディリリーフだったわけだし」
女「重苦しいで思い出したんだけど、内容の濃さに役者のテンションがついていけてない感があったかも……」
男「うーむ、怒りと喜びの振れ方が少し甘かったかもね。だから悲劇って難しいんだよ」
女「脚本というより、演出または衣装・メイクの観点だと思うんだけど……」
男「何が?」
女「ほら、アナベラってさ、ジョヴァンニのことを天使のごとく崇めてたじゃない? 夫との口喧嘩のシーンでさ」
男「あぁ、言ってたね、確か兄のことを天使のような姿だとか……」
女「その割には三上博史のジョヴァンニがどうしてもワイルドにしか見えなくて……、ビジュアルがね……」
男「うーん、確かに……。狂気のシーンでは合ってたとは思うけどね。まぁ、聖母マリアのパロディー的要素もあったのかもしれないな。アナベラが誰の子を妊娠したのかはずっと隠し続けてたわけだし」
女「なるほどね。宗教とかパロディーで思い出したけど、最期の惨劇のシーンはまさに最期の晩餐だったね」
男「他に言いたいことあるだろうけど、そろそろ終わりにしたいなぁ。何か言うべきことあるかい?」
女「舞台が広いからっていうのと、三階から見たっていうのもあるだろうけど、一番最初の暗闇の中で客席通路でセリフを言ってる瑳川哲朗の演じる修道士の声、聞き取りにくかったね」
男「うん、何言ってるか全く分からなかったな。まあ、最初のうちは耳が慣れないから仕方ないかもね……」
女「あなたは言いたいこと、何かある?」
男「そうだな、じゃあ最後に脚本について。ウィリアム・シェイクスピア vs ジョン・フォード、どっちに軍配をあげる?」
女「うーん、フォードも面白かったけど、やっぱりシェイクスピアかしら……」
男「だよな? ロミジュリの場合、仇同士の家の純愛。あわれ娼婦の場合、近親相姦。そういう意味ではあわれ娼婦のほうが禁断レベルは高い。ただ、禁断の究極であるが故、主人公の行動が愚かというか浅はかというかそんな感じにも見えてくる。だから物語として観た場合、あわれ娼婦のほうが感情移入しにくいと思う」
女「なるほどね……」
男「あと、主人公の周りにいる登場人物のキャラクターがシェイクスピアの様々な作品のキャラクターに見えてくる。確かに、ハリウッド映画やディズニー映画、他にも感情移入型の物語には類型がある。キャラクターのマニュアルが存在しており、それから少しでも外れると作品化出来ないと言われるくらいの法則とされている。シェイクスピアの時代にもあったのだろうか。フォードが意識していたからというだけではなく、当時それほどシェイクスピアは大成功した人物なのかもしれない」
女「うーん、それはどうか分からないけど、嫉妬に狂うソランゾなんかはオセローに出てきそうね」
男「殺すつもりのなかった相手を殺してしまうってのはハムレットのポローニアスの死を連想するね」
女「頭の弱いバーゲットは十二夜のアンドリューだし、アナベラと一緒に居た乳母はそのまんまロミジュリかな?」
男「お嬢様の最大の理解者だと言って禁断の愛を止めない点はまさにそうだね。だけど乳母に関してはロミジュリにもなってない、というかロミジュリを超えてないと言ったほうがいいかもしれない。最大の理解者と言っておきながら、結局アナベラの腹の子が誰の子が言ってしまうのだから……」
女「それもそうね……」
男「あと、シェイクスピアと全然変わらない設定として、若者に知恵を施す神父(あわれ娼婦の場合は修道士)や、過保護に育てているつもりの(つまり他人任せで子供のことを理解してない)親も挙げられるだろうな」
女「まぁあわれ娼婦に関しては、ロミジュリに展開も似てたしね」
男「シェイクスピアは言葉遊びが巧みだった。もちろん、フォードにも多少それは見られたけどね。小田島雄志さんの訳だから、あえて彼がシェイクスピアに似せて訳したのか、本当に韻を踏んでいたのかは分からないけどね」
女「音としても楽しめるのはシェイクスピアのほうってわけね?」
男「まぁね……。あと、展開で言うなら結末の惨劇(大量殺戮)はタイタス・アンドロニカスだったね」
女「ね……」
男「今の話で思い出したんだけど、配役は面白かったね」
女「2004年末の日生劇場のロミジュリの時と比べてるわね?」
男「ああ。ジュリエットの乳母を演じた梅沢昌代がアナベラの乳母だったし、神父を演じていた嵯川哲朗がジョバンニに様々なアドバイスを与える修道士だったんだぜ?」
女「確かにそう比べると面白いわね? 脚本はシェイクスピアに軍配を上げるってことは、蜷川演出ももちろんロミジュリのが良かったのかな?」
男「いや、蜷川演出ならあわれ娼婦のほうが良かったよ。メリハリがしっかりしてたしね。ロミジュリは何か凄く長く感じた^^;」
女「ふーん」
書くの凄く疲れたぁ……
自分の今後の参考になるからいいんだけどさ……
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