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映画「DEATH NOTE」の例の女二人組の会話より考察。


一日だろうが一年だろうがその時間を
数時間で表現する媒体として演劇を考えるならば、
ある程度の誇張表現は必要。
普通そんなことしないだろうと思える大げさな動き。
仕草・振舞などの所作というものにも誇張表現はついてまわる。
歌舞伎の所作は人形浄瑠璃の人形の動きを
人間が真似ることで獲得している。

映画はカット割りがある。芝居にはない。
映画は時間を圧縮しない。カット割りで飛ばす。
演劇は時間を圧縮している。シーンはあってもカット割りはない。

大げさな身体表現を観客が受け入れるには
ある種のコスモスを感じる必要がある。

観客の生理と同じ時間を舞台上の役者が生きていれば
それはただ日常を切り取って等身大を見せているに過ぎない。
そういうジャンルの芝居も存在するが、私はそれはつまらないと思う。

うちの芝居形態を確立するためには
やはり呼吸が大事なのかもしれない。
最近、特にそう思う。
あの鈴木忠志の「ディオニュソス」を見れば一目瞭然。
何を言いたいか、
それは「役者は楽をするな」ということです。
生理的リズムを超越した時こそ、我々の理想とする物が出来るであろう。
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