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【8月20日(木) 4日目】
ほぼ進まず。
ノーラ&ヘルメル、私用により欠席。
リンデ夫人はまだ来れないので、
計二人しか参加出来ない状況。
今回は五人芝居なのです!!!
えー、ぶっちゃけ何も出来ない。
まだ、ランクとクログスタは登場してないので。
そんな中、
ランク役のトモハル氏、
前日、歯を抜いたため、生じたと思われる頭痛と、
痛み止めの副作用による眠気でダウン。
廊下にてグロッキー状態。
なので放置。
ちゃーんと台本把握してた模様(途中死w)。
稽古場には私(演出ラディー)とクログスタ役の近原氏^^;
一瞬だけ現れ、すぐに去る場面がちょい後にあったんで、
そこだけ当りを付けた。一瞬だったw
読みは、この部分に関しては口立てがだいぶ前に完了しており、意外と良い感じだった。
「口立て」っていうか、
要は「せりふ回しの模倣」、伝統芸能でいうところのお稽古。
その習得した技術をちゃんと自分なりに昇華させているようだった。
まだ甘い部分もあるけれど。
役柄としての「姿勢」の問題について少々アドバイス。
あと、アクション・ポイントの探知について、先回りしてレクチャー。
その後、ひたすらトーク。
役や物語の解釈を深めるためのトークが出来たので、
別にこの日自体が不毛な時間にはならなかった。
昔から現在まで蔓延る、色々なお話。
それをまとめて下記に記しておく。
○ 考察 ----------
①
女は家事をしてればいい。女が働くことはNG。
そういう古くさい考えをしている男が未だ居る。
②
女性差別撲滅するなら、女性優遇も撲滅したら?
レディース・デー etc。
まあこれについては企業戦略でもあるわけで、
いかに女性を味方につけるか的な。
ということは世の中女性社会じゃって思うかもしれないけど、
そういう風に仕組んでるのは大概男。
つまり男性社会の枠組みは消えてない。
結局、女性を弱いと見なす男に責任がある。
でもそれに甘える女も女。
だから女と仕事したくない。
同じ賃金なのに、
男のほうがきつい仕事するはめになることが多々ある。
非常に理不尽。不公平。
③
女性専用車両はOKで、男性専用車両はNGらしい。
ならば女性「専用」っていうと不公平な感じするから、
「隔離」車両とか、
この場合の「女性」を「弱い者」と位置づけるなら、
弱者専用車両とかにすれば良い。
④
男性社会の定めた「法」が機能している世の中で、
女性を裁くことは出来るのか?
「男」は「女」を理解することが出来るのか?
その逆も然り。
「男」は物こそ全て、金こそ全て、資本主義。
「女」は心・愛・絆・目に見えぬモノを信じる。
互いに相容れない!?
⑤
互いの幻想・理想が崩れた時、
彼らの思い込みが強かったり、
彼らが完璧主義だったなら
二人の仲は一瞬で崩れ去るだろう。
⑥
「好き」「一緒に居たい」「愛してる」
全て似て非なるモノ。
「愛でる」「ただ愛でている」「金を与えてる」は特に。
⑦
自分自身の教育のためとは言え、
いくら母親である(子供を育てる)資格ないとは言え、
子供を置いて立ち去るのはいかがなものか?
幻想が崩れ、夫が理想でなかったことが分かり、
赤の他人と生活をともにしていたと思えてきたということは、
赤の他人との間に子供を作り、それに耐えられなくなって、
「捨てた」とも受け取れる。
かつて「人形の家」の結末に納得しなかった演出家や女優が、
作家に書き直させたという逸話がある。
元々の(現在残っている)結末は、
「妻が夫だけでなく、子供を置いて、家を出て行く」というもの。
当時書き直された結末は、
「夫が妻を寝ている子供の寝室に連れて行き、妻であるノーラが大泣きして和解する」的なものだったらしい。
作家イプセンは
「他人の手で壊されるくらいなら自分で」という感じだったらしいが、
のちに「最悪だった」と言った模様(笑
当時、それくらいセンセーショナルな作品で、
男性の観客は、
「自分の妻がノーラと同じように立ち去るのではないか」と戦々恐々だったようだ。(取り越し苦労で終わったようだが)
それでも、社交界では
「人形の家の話禁止」という触書が登場したようだ。
by RADY KESHY
ほぼ進まず。
ノーラ&ヘルメル、私用により欠席。
リンデ夫人はまだ来れないので、
計二人しか参加出来ない状況。
今回は五人芝居なのです!!!
えー、ぶっちゃけ何も出来ない。
まだ、ランクとクログスタは登場してないので。
そんな中、
ランク役のトモハル氏、
前日、歯を抜いたため、生じたと思われる頭痛と、
痛み止めの副作用による眠気でダウン。
廊下にてグロッキー状態。
なので放置。
ちゃーんと台本把握してた模様(途中死w)。
稽古場には私(演出ラディー)とクログスタ役の近原氏^^;
一瞬だけ現れ、すぐに去る場面がちょい後にあったんで、
そこだけ当りを付けた。一瞬だったw
読みは、この部分に関しては口立てがだいぶ前に完了しており、意外と良い感じだった。
「口立て」っていうか、
要は「せりふ回しの模倣」、伝統芸能でいうところのお稽古。
その習得した技術をちゃんと自分なりに昇華させているようだった。
まだ甘い部分もあるけれど。
役柄としての「姿勢」の問題について少々アドバイス。
あと、アクション・ポイントの探知について、先回りしてレクチャー。
その後、ひたすらトーク。
役や物語の解釈を深めるためのトークが出来たので、
別にこの日自体が不毛な時間にはならなかった。
昔から現在まで蔓延る、色々なお話。
それをまとめて下記に記しておく。
○ 考察 ----------
①
女は家事をしてればいい。女が働くことはNG。
そういう古くさい考えをしている男が未だ居る。
②
女性差別撲滅するなら、女性優遇も撲滅したら?
レディース・デー etc。
まあこれについては企業戦略でもあるわけで、
いかに女性を味方につけるか的な。
ということは世の中女性社会じゃって思うかもしれないけど、
そういう風に仕組んでるのは大概男。
つまり男性社会の枠組みは消えてない。
結局、女性を弱いと見なす男に責任がある。
でもそれに甘える女も女。
だから女と仕事したくない。
同じ賃金なのに、
男のほうがきつい仕事するはめになることが多々ある。
非常に理不尽。不公平。
③
女性専用車両はOKで、男性専用車両はNGらしい。
ならば女性「専用」っていうと不公平な感じするから、
「隔離」車両とか、
この場合の「女性」を「弱い者」と位置づけるなら、
弱者専用車両とかにすれば良い。
④
男性社会の定めた「法」が機能している世の中で、
女性を裁くことは出来るのか?
「男」は「女」を理解することが出来るのか?
その逆も然り。
「男」は物こそ全て、金こそ全て、資本主義。
「女」は心・愛・絆・目に見えぬモノを信じる。
互いに相容れない!?
⑤
互いの幻想・理想が崩れた時、
彼らの思い込みが強かったり、
彼らが完璧主義だったなら
二人の仲は一瞬で崩れ去るだろう。
⑥
「好き」「一緒に居たい」「愛してる」
全て似て非なるモノ。
「愛でる」「ただ愛でている」「金を与えてる」は特に。
⑦
自分自身の教育のためとは言え、
いくら母親である(子供を育てる)資格ないとは言え、
子供を置いて立ち去るのはいかがなものか?
幻想が崩れ、夫が理想でなかったことが分かり、
赤の他人と生活をともにしていたと思えてきたということは、
赤の他人との間に子供を作り、それに耐えられなくなって、
「捨てた」とも受け取れる。
かつて「人形の家」の結末に納得しなかった演出家や女優が、
作家に書き直させたという逸話がある。
元々の(現在残っている)結末は、
「妻が夫だけでなく、子供を置いて、家を出て行く」というもの。
当時書き直された結末は、
「夫が妻を寝ている子供の寝室に連れて行き、妻であるノーラが大泣きして和解する」的なものだったらしい。
作家イプセンは
「他人の手で壊されるくらいなら自分で」という感じだったらしいが、
のちに「最悪だった」と言った模様(笑
当時、それくらいセンセーショナルな作品で、
男性の観客は、
「自分の妻がノーラと同じように立ち去るのではないか」と戦々恐々だったようだ。(取り越し苦労で終わったようだが)
それでも、社交界では
「人形の家の話禁止」という触書が登場したようだ。
by RADY KESHY
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