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昨日行った芝居の感想を適当に……
青い意図◎
第一回公演「ラングドシャ」
場所:Space 遊空間がざびぃ
日時:9月9日(土)14:00 / 18:00(一日公演・2ステ)
料金:前売1200円 / 当日1500円
マチネ(昼)のほうを前売り料金で観劇。
チラシ持ってなかったので、迷った。
地図前もって見てたんだけどね~。
制作さん立ってたのかしら? 遭遇せんかったぜw
段々へんぴなところになっていき、川超えて心配になり、人通りの多い通りに出るも「幸福の○学」の建物を見て駅の方向へ戻り始めたトモハルと私。
その途中、コンビニ発見!
マイケル(←ジャクソンのほうね)のような変な店員を見て、どう考えても知らないだろうとあきらめかけた時、もう一人の店員(その土地ゆかりのおばちゃんって感じ)を見て尋ねるも「よく分からないがこの先と逆方向にあるかも」と言われるw
コンビニを出るとチケットっぽいのをひらひら持って歩く人を見かけ、その人を尾行♪
で無事辿り着く^^;
いやぁ~、へんぴな道を直進してたらまずかったなぁ。
「幸○の科学」の建物を少し超えたところにあったよ。
芝居はアングラかな!? うちとは違うけど、アングラかとw
うちはエンタメ、あっちは私的。
【形態&偏見】
<上演時間>
1時間弱の芝居。開演自体は10分圧しの14:10~。
<舞台美術>
大きな円形のパネル。
その中に少し小さな(かがんで通れるくらいの)円形の開閉式のパネル、これが最終的に開く。
その周りに透明と白のビニールをぺたぺた貼り付けた膜のように見える装飾(上手2枚・下手2枚)。
<女の子の私の日記みたいな感じ>
「私」とある女との関係は「ともだち」、その女の彼氏との関係は「めんどくさい」、あと猫を飼っていてその名前は「にゃんにゃん」だって^^
個人的に「にゃんにゃん」という響きが壺に入り、一人悶絶しかけるw
落ち的には、「ともだち」の彼氏の相談を受けてるうちに結果的に好きになり奪ってしまった!?「私」の話。
きれいになりたい、近付きたい、とか思う女の子ならではの心の痛みというか不安定さというかそんなものを表現!?
<ダンスあり>
『タップのリズム刻み』
緊張感出てきた直後に終わってしまった。つまりリズム刻み(足踏み)始めてその出だしで終わりの肩すかし。
『唐突なバレエ』
どうしようもなく好きなのに……みたいな感じ!?w
<ピアノの生弾き数回あり>
『猫ふんじゃった』の3種くらいのバリエーション(主旋律のみ、主旋律+α、オクターブ違い)
<水、卵、砂糖、カッターナイフなど本物使用>
<ボード(黒板)代わりのパネル(ベニヤの壁)>
文字をがりがり何かで書いていたんだけど、薄すぎてあまり見えない。
別にそういう効果を求めてるならいいんだけど、たぶん字は見えなきゃまずい表現だったと思うw
<映像(一回あり)>
『花占い』
好き・嫌い……ってやつ。いつまで立っても何回やっても同じ花だから「嫌い」という同じ結果。そこで逆からやろうと考え、嫌い・好き……と初めてHAPPY END♪っていうパラパラ漫画的(静止画切り替え)映像。
<始まり>
客電ついてる中、ピアノでゆっくりと静かな「猫~」を弾き、それが終わるとF.O(フェードアウト)。
明転すると、無言の椅子取りゲームが始まる。
それが終わると舞踏というかダンスというか軽い身体表現(身体遊び)が始まる。
ばらばらに上手・下手から走って現れ、すれ違う瞬間からスローモーション。結構大仰なスローだった。スローというか細切れ(断片)的な静止画スローって感じに見えたが、きっとそれは狙ってはなかったかと思われる。
あと、シャボン玉吹いてたりもしてた。
『マッチ売りのお七』でやろうとしてたネタがかぶった~って思ったが綺麗だったよ、シャボン玉^^
<終わり>
しゃがんで泣いている「私」にがじょうろで水をかけ、卵型の出入り口みたいなものから出ていく「にゃんにゃん」。
「にゃんにゃん」が透明な膜(ビニール性の壁)から「私」を黙って見つめている。
泣きやみ、「にゃんにゃん」の後をついて行くように出入り口から消える「私」。
【感想というか一方的な解釈】
最初の椅子取りゲームとかってのは、
拒絶したりされたりしながら段々と孤立していく「私」というか、
他人との距離というかそんなものを表現してたのかなぁ……?
語り手の「私」が大きな円形のパネルに人物相関図みたいのを書くのは卑怯な気がした。
「私は説明下手なのでとりあえず図にします」みたいなこと言って……^^;
まぁ、でもがりがりパネルに書くも、その字が薄すぎて意味をなさない。目を凝らせばまぁ見える程度の濃さでしたんで。
ブレヒト的な要素なはずなのにうまく機能してない。
別の意味での異化効果はあったけどw
まぁ、それはおいといて、演劇だし別に文字なんか見えなくたっていいわけで……、
でも最後だけ肝心の言葉を「私」は発さず、文字として残すだけ^^;
めっちゃ目を凝らしてみたら“近付きたい”って書いてあった気がする。
まぁ、バレエでその気持ちのようなものを表現したからいいのか?
美術的な欠陥なのか、それともその薄さこそ狙っているか。
消え入りそうな気持ち・文字として残す意味の希薄さetc
中盤以降から語り手のほうの「私」は上手前で料理!?してる。
卵割ってグチャグチャかき混ぜて、砂糖めちゃめちゃ入れてガリガリざらざら。
この擬音などが個人的には大事、勝手に俺が書いたのだけど、まぁそんな感じの調理の演技をしてたわけよ。
その擬音はまさに、劇中に出てきた「私」の心境にぴったりだと思うのです。
小麦粉!?みたいのも置いてあって投入してなかったけど、まぁ時間の省略とかそんな感じで触れてなかった。
で、オーブンかなんかで焼いたであろうその結晶を最後のほうで取り出してたけど、それはおそらく芝居のタイトルでもある「ラングドシャ」っていうお菓子なのだろう。
だが出来たものはきっと砂糖入れすぎて凄く甘く、触感ざらざらで最悪だろう。きっと甘いけどまずい。
『胃液の味がするほど泣いたことありますか』とか『女だからこそ表現出来るもの』とかそんな謳い文句な団体&芝居だったから、ひょっとして……って思ったわけですよ、男の俺がw
「にゃんにゃん」は“甘いもの食べたい”とか“構ってほしい”とか“楽しいの?”みたいなことを「私」に言いながら下手前に座ってる。
その「にゃんにゃん」の言葉って色々我慢してる「私」の本心だったのだろう。
つまり、
綺麗になりたくて甘いもの我慢してる「私」と、“甘いもの食べたい”「にゃんにゃん」
縄跳びをやってダイエット!?しようとしてる「私」と、縄跳びを目で追いながら“楽しいの?”と聞いてる「にゃんにゃん」
男の子に近付きたい「私」と、“構ってほしい”「にゃんにゃん」
みたいな……。
舞台美術は、胎内・子宮を連想させる感じ。
俺だけではなく、トモハルもそう思ったみたいだ。
音響のゲージが大きくて凄く耳を痛めた、赤ん坊の長い泣き声からしてもそうなのかなと思うw
それにしても育児ノイローゼになる人の気持ちが分かる気がした^^;
水(雫)の垂れる音“ポチャン”が客入れ中から流れていたし、
最後のほうの
“死ぬときに二種類の人間が居る。幸せなことが多かったと思う人。不幸なことが多かったと思う人。私は不幸なことが多かったと思う人です”
みたいなせりふが語り手の「私」によって発せられ、
最終的に「にゃんにゃん」によって開けられた中央奥の小さな円形の穴から「にゃんにゃん」と二人で去っていく「私」という構造からしても、
今初めて生まれたって感じを出したかったのかなぁ……と。
「にゃんにゃん」という自分と向き合うことで語り手の「私」は初めて一つとなり、
胎内・子宮から中央奥にある外へ繋がる穴へ向かっていく……みたいなね。
【はっとした部分について】
・リフレイン
最初のほうと最後のほうで同じダイアローグが繰り返されるんだけど、
最初は表面的なリアリズム調のぼそぼそした女の会話、
最後はサブテキストの表出化というかとにかく感情発散型の大喧嘩。
「猫ふんじゃった」の歌を普通に歌ったり、泣きながら歌ったり……。
まぁくどい場合もあるんだけど、やり方と観客の好みによるかな?
・生音
「私」がともだち(女)と耐えながらにこやかに!?話しているシーン。
カッターナイフの刃をぶらんとした右手で「私」が出したりしまったりするカチカチ音がなかなかいい感じの緊張感が出てた。
緊張感と言えば、タップのリズム刻みをもっと続けてほしかった。
・シャボン玉
やっぱり綺麗だった。
次回公演で使おうと考えて迷っていたが、やはり使うことを前向きに検討することにした。
疲れた~。
文章破綻してるが、個人的なメモなんで悪しからず……。
もう一つの感想は暇があったら書くかなぁ。
一応、忘れないうちに凄く表面的なメモを……。
R.S.H.B
第9回公演 / 第3回プロデュース「祭影の姉妹」
場所:明石スタジオ
9月9日(土)18:00開演
前売り2500円 / 当日2800円
前売り料金で見た。でも2500円さ……、ふっ。
可愛い、可愛い、劇団員のためなら問題NOTHING!
値段の割に、かなり簡易な装置。
【装置とそれに関連したシーン】
ひな壇のような三段舞台。
段ボールを菱形に切ったものをタイルのように敷き詰めていた。
蹴込み部分も段ボール。
演技の途中ではがれかけたの有り、滑りそうで見ていて恐かったetc、
やや問題あり。
家のようなものを簡易的に表現するために、
小割りか垂木の材かで作った直方体を上手と下手に二つずつ。
無論、壁はない。
奥は紗幕(斜幕)、その裏には七つくらいのお祭り提灯。
紗幕とは……、一見真っ黒に見えますが、その裏が明るくなると透けて見える不思議布なのです。
つまり開演前は提灯なんて見えないんですが、あるシーンを境に明かりがつくとその提灯が姿を現すわけです。
ギミックは落ち物。
上から積み木が大量に最後に落ちてきた。
あと吊り物で、同じく最後の狂気というか暴れるシーンで、
簡素な例の直方体の上部に簾を紙テープかなんかで丸めて設置してあり、その紙テープをナグリ(金槌)で破って広げて、それを次々と破壊していった。
一つの家をぶっ壊したら必ずいちいち三段目中央に戻って背中向ける見得切り!?に違和感。
うろ覚えなんで修正出来るなら誰かよろしく。
まぁだいたいは合ってるだろう……。
あ、そういえば
どちらの芝居にも女の子が大声で泣く演技あったんだけど、
なんだかなぁ~と思ったなぁ。
青い意図◎
第一回公演「ラングドシャ」
場所:Space 遊空間がざびぃ
日時:9月9日(土)14:00 / 18:00(一日公演・2ステ)
料金:前売1200円 / 当日1500円
マチネ(昼)のほうを前売り料金で観劇。
チラシ持ってなかったので、迷った。
地図前もって見てたんだけどね~。
制作さん立ってたのかしら? 遭遇せんかったぜw
段々へんぴなところになっていき、川超えて心配になり、人通りの多い通りに出るも「幸福の○学」の建物を見て駅の方向へ戻り始めたトモハルと私。
その途中、コンビニ発見!
マイケル(←ジャクソンのほうね)のような変な店員を見て、どう考えても知らないだろうとあきらめかけた時、もう一人の店員(その土地ゆかりのおばちゃんって感じ)を見て尋ねるも「よく分からないがこの先と逆方向にあるかも」と言われるw
コンビニを出るとチケットっぽいのをひらひら持って歩く人を見かけ、その人を尾行♪
で無事辿り着く^^;
いやぁ~、へんぴな道を直進してたらまずかったなぁ。
「幸○の科学」の建物を少し超えたところにあったよ。
芝居はアングラかな!? うちとは違うけど、アングラかとw
うちはエンタメ、あっちは私的。
【形態&偏見】
<上演時間>
1時間弱の芝居。開演自体は10分圧しの14:10~。
<舞台美術>
大きな円形のパネル。
その中に少し小さな(かがんで通れるくらいの)円形の開閉式のパネル、これが最終的に開く。
その周りに透明と白のビニールをぺたぺた貼り付けた膜のように見える装飾(上手2枚・下手2枚)。
<女の子の私の日記みたいな感じ>
「私」とある女との関係は「ともだち」、その女の彼氏との関係は「めんどくさい」、あと猫を飼っていてその名前は「にゃんにゃん」だって^^
個人的に「にゃんにゃん」という響きが壺に入り、一人悶絶しかけるw
落ち的には、「ともだち」の彼氏の相談を受けてるうちに結果的に好きになり奪ってしまった!?「私」の話。
きれいになりたい、近付きたい、とか思う女の子ならではの心の痛みというか不安定さというかそんなものを表現!?
<ダンスあり>
『タップのリズム刻み』
緊張感出てきた直後に終わってしまった。つまりリズム刻み(足踏み)始めてその出だしで終わりの肩すかし。
『唐突なバレエ』
どうしようもなく好きなのに……みたいな感じ!?w
<ピアノの生弾き数回あり>
『猫ふんじゃった』の3種くらいのバリエーション(主旋律のみ、主旋律+α、オクターブ違い)
<水、卵、砂糖、カッターナイフなど本物使用>
<ボード(黒板)代わりのパネル(ベニヤの壁)>
文字をがりがり何かで書いていたんだけど、薄すぎてあまり見えない。
別にそういう効果を求めてるならいいんだけど、たぶん字は見えなきゃまずい表現だったと思うw
<映像(一回あり)>
『花占い』
好き・嫌い……ってやつ。いつまで立っても何回やっても同じ花だから「嫌い」という同じ結果。そこで逆からやろうと考え、嫌い・好き……と初めてHAPPY END♪っていうパラパラ漫画的(静止画切り替え)映像。
<始まり>
客電ついてる中、ピアノでゆっくりと静かな「猫~」を弾き、それが終わるとF.O(フェードアウト)。
明転すると、無言の椅子取りゲームが始まる。
それが終わると舞踏というかダンスというか軽い身体表現(身体遊び)が始まる。
ばらばらに上手・下手から走って現れ、すれ違う瞬間からスローモーション。結構大仰なスローだった。スローというか細切れ(断片)的な静止画スローって感じに見えたが、きっとそれは狙ってはなかったかと思われる。
あと、シャボン玉吹いてたりもしてた。
『マッチ売りのお七』でやろうとしてたネタがかぶった~って思ったが綺麗だったよ、シャボン玉^^
<終わり>
しゃがんで泣いている「私」にがじょうろで水をかけ、卵型の出入り口みたいなものから出ていく「にゃんにゃん」。
「にゃんにゃん」が透明な膜(ビニール性の壁)から「私」を黙って見つめている。
泣きやみ、「にゃんにゃん」の後をついて行くように出入り口から消える「私」。
【感想というか一方的な解釈】
最初の椅子取りゲームとかってのは、
拒絶したりされたりしながら段々と孤立していく「私」というか、
他人との距離というかそんなものを表現してたのかなぁ……?
語り手の「私」が大きな円形のパネルに人物相関図みたいのを書くのは卑怯な気がした。
「私は説明下手なのでとりあえず図にします」みたいなこと言って……^^;
まぁ、でもがりがりパネルに書くも、その字が薄すぎて意味をなさない。目を凝らせばまぁ見える程度の濃さでしたんで。
ブレヒト的な要素なはずなのにうまく機能してない。
別の意味での異化効果はあったけどw
まぁ、それはおいといて、演劇だし別に文字なんか見えなくたっていいわけで……、
でも最後だけ肝心の言葉を「私」は発さず、文字として残すだけ^^;
めっちゃ目を凝らしてみたら“近付きたい”って書いてあった気がする。
まぁ、バレエでその気持ちのようなものを表現したからいいのか?
美術的な欠陥なのか、それともその薄さこそ狙っているか。
消え入りそうな気持ち・文字として残す意味の希薄さetc
中盤以降から語り手のほうの「私」は上手前で料理!?してる。
卵割ってグチャグチャかき混ぜて、砂糖めちゃめちゃ入れてガリガリざらざら。
この擬音などが個人的には大事、勝手に俺が書いたのだけど、まぁそんな感じの調理の演技をしてたわけよ。
その擬音はまさに、劇中に出てきた「私」の心境にぴったりだと思うのです。
小麦粉!?みたいのも置いてあって投入してなかったけど、まぁ時間の省略とかそんな感じで触れてなかった。
で、オーブンかなんかで焼いたであろうその結晶を最後のほうで取り出してたけど、それはおそらく芝居のタイトルでもある「ラングドシャ」っていうお菓子なのだろう。
だが出来たものはきっと砂糖入れすぎて凄く甘く、触感ざらざらで最悪だろう。きっと甘いけどまずい。
『胃液の味がするほど泣いたことありますか』とか『女だからこそ表現出来るもの』とかそんな謳い文句な団体&芝居だったから、ひょっとして……って思ったわけですよ、男の俺がw
「にゃんにゃん」は“甘いもの食べたい”とか“構ってほしい”とか“楽しいの?”みたいなことを「私」に言いながら下手前に座ってる。
その「にゃんにゃん」の言葉って色々我慢してる「私」の本心だったのだろう。
つまり、
綺麗になりたくて甘いもの我慢してる「私」と、“甘いもの食べたい”「にゃんにゃん」
縄跳びをやってダイエット!?しようとしてる「私」と、縄跳びを目で追いながら“楽しいの?”と聞いてる「にゃんにゃん」
男の子に近付きたい「私」と、“構ってほしい”「にゃんにゃん」
みたいな……。
舞台美術は、胎内・子宮を連想させる感じ。
俺だけではなく、トモハルもそう思ったみたいだ。
音響のゲージが大きくて凄く耳を痛めた、赤ん坊の長い泣き声からしてもそうなのかなと思うw
それにしても育児ノイローゼになる人の気持ちが分かる気がした^^;
水(雫)の垂れる音“ポチャン”が客入れ中から流れていたし、
最後のほうの
“死ぬときに二種類の人間が居る。幸せなことが多かったと思う人。不幸なことが多かったと思う人。私は不幸なことが多かったと思う人です”
みたいなせりふが語り手の「私」によって発せられ、
最終的に「にゃんにゃん」によって開けられた中央奥の小さな円形の穴から「にゃんにゃん」と二人で去っていく「私」という構造からしても、
今初めて生まれたって感じを出したかったのかなぁ……と。
「にゃんにゃん」という自分と向き合うことで語り手の「私」は初めて一つとなり、
胎内・子宮から中央奥にある外へ繋がる穴へ向かっていく……みたいなね。
【はっとした部分について】
・リフレイン
最初のほうと最後のほうで同じダイアローグが繰り返されるんだけど、
最初は表面的なリアリズム調のぼそぼそした女の会話、
最後はサブテキストの表出化というかとにかく感情発散型の大喧嘩。
「猫ふんじゃった」の歌を普通に歌ったり、泣きながら歌ったり……。
まぁくどい場合もあるんだけど、やり方と観客の好みによるかな?
・生音
「私」がともだち(女)と耐えながらにこやかに!?話しているシーン。
カッターナイフの刃をぶらんとした右手で「私」が出したりしまったりするカチカチ音がなかなかいい感じの緊張感が出てた。
緊張感と言えば、タップのリズム刻みをもっと続けてほしかった。
・シャボン玉
やっぱり綺麗だった。
次回公演で使おうと考えて迷っていたが、やはり使うことを前向きに検討することにした。
疲れた~。
文章破綻してるが、個人的なメモなんで悪しからず……。
もう一つの感想は暇があったら書くかなぁ。
一応、忘れないうちに凄く表面的なメモを……。
R.S.H.B
第9回公演 / 第3回プロデュース「祭影の姉妹」
場所:明石スタジオ
9月9日(土)18:00開演
前売り2500円 / 当日2800円
前売り料金で見た。でも2500円さ……、ふっ。
可愛い、可愛い、劇団員のためなら問題NOTHING!
値段の割に、かなり簡易な装置。
【装置とそれに関連したシーン】
ひな壇のような三段舞台。
段ボールを菱形に切ったものをタイルのように敷き詰めていた。
蹴込み部分も段ボール。
演技の途中ではがれかけたの有り、滑りそうで見ていて恐かったetc、
やや問題あり。
家のようなものを簡易的に表現するために、
小割りか垂木の材かで作った直方体を上手と下手に二つずつ。
無論、壁はない。
奥は紗幕(斜幕)、その裏には七つくらいのお祭り提灯。
紗幕とは……、一見真っ黒に見えますが、その裏が明るくなると透けて見える不思議布なのです。
つまり開演前は提灯なんて見えないんですが、あるシーンを境に明かりがつくとその提灯が姿を現すわけです。
ギミックは落ち物。
上から積み木が大量に最後に落ちてきた。
あと吊り物で、同じく最後の狂気というか暴れるシーンで、
簡素な例の直方体の上部に簾を紙テープかなんかで丸めて設置してあり、その紙テープをナグリ(金槌)で破って広げて、それを次々と破壊していった。
一つの家をぶっ壊したら必ずいちいち三段目中央に戻って背中向ける見得切り!?に違和感。
うろ覚えなんで修正出来るなら誰かよろしく。
まぁだいたいは合ってるだろう……。
あ、そういえば
どちらの芝居にも女の子が大声で泣く演技あったんだけど、
なんだかなぁ~と思ったなぁ。
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★いや
NAME: RADY
普通の人はそんな見方なんかしてないよ。それは俺も同じ♪
思い出して、あれこれ考えて、今後の参考にまとめてるだけ。
その作業が大変^^;
でも、はしご自体は疲れるね。
やっぱ芝居は頭でごねごね考えるんじゃなくて、肌で感じるべきだからね。
頭であれこれ考えて観るのは別にいけないことではないんだけど、それだけじゃ映画やTVと変わらんよね。
うちの芝居なんか肌で感じてもらわんとちときついね。
頭だけで考えると無駄な物っつーのが出てくる、というか途中で意味不明になる^^;
最初は頭で考えるところから当然入るんだけど、途中から肌で感じる割合を多くしていくってのが理想かしらw
俺は基本的にそういう見方してる。
世界観とかどう観るべきか頭で考えて、それを少しずつ肌で感じる割合(感覚)にシフトしていく。
骨(物語)だけじゃなくて、肉(余分な物・雑念!?w)をいかに感じるか。
骨だけなら、本を読んでるのと大差ない。まぁ、最近は骨重視の人が意外と多いみたいだから困りものらしいよ。
いかに無駄な物をストイックに表現出来るかがアナログ表現の醍醐味なんだけど、今はデジタル社会だから無駄な物を排除した整合性の取れすぎたつまらない物ばかり溢れてる。
物語がない劇だって存在するし、感情移入させない劇だって存在する。
むろん、その逆もあるんだけどさ。
「TVで出来るようなことを芝居でやっては意味はない」って色々な演劇人が言ってるよね。
ほんとその通りだと思う。
思い出して、あれこれ考えて、今後の参考にまとめてるだけ。
その作業が大変^^;
でも、はしご自体は疲れるね。
やっぱ芝居は頭でごねごね考えるんじゃなくて、肌で感じるべきだからね。
頭であれこれ考えて観るのは別にいけないことではないんだけど、それだけじゃ映画やTVと変わらんよね。
うちの芝居なんか肌で感じてもらわんとちときついね。
頭だけで考えると無駄な物っつーのが出てくる、というか途中で意味不明になる^^;
最初は頭で考えるところから当然入るんだけど、途中から肌で感じる割合を多くしていくってのが理想かしらw
俺は基本的にそういう見方してる。
世界観とかどう観るべきか頭で考えて、それを少しずつ肌で感じる割合(感覚)にシフトしていく。
骨(物語)だけじゃなくて、肉(余分な物・雑念!?w)をいかに感じるか。
骨だけなら、本を読んでるのと大差ない。まぁ、最近は骨重視の人が意外と多いみたいだから困りものらしいよ。
いかに無駄な物をストイックに表現出来るかがアナログ表現の醍醐味なんだけど、今はデジタル社会だから無駄な物を排除した整合性の取れすぎたつまらない物ばかり溢れてる。
物語がない劇だって存在するし、感情移入させない劇だって存在する。
むろん、その逆もあるんだけどさ。
「TVで出来るようなことを芝居でやっては意味はない」って色々な演劇人が言ってるよね。
ほんとその通りだと思う。
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