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さて、記録の続きを。
チャイカというのはロシア語で、かもめという言葉。
第9回シアターX 国際舞台芸術祭 2010
プレ・シンポジウム
次の発言者は、
演劇評論家の中本信幸さん。
神奈川大学教授らしいです。
★ 中本信幸さん
チェーホフ作品は人によって感じ方が違う。
自分はこうだ!
従来の芝居は一人の主人公がいて成り立つ。
チェーホフの芝居は誰が主人公か分からない。
カクテル・パーティーのように人々が自由。
主人公どころか進行役すら居ない。
かもめとは何なのか
私はかもめ。
ニーナが言ってる。
でもすぐに否定している。
かもめというシンボルは単純じゃない。
絵画において
ヨーロッパでは全て塗りつぶす。
日本では余白を残す。
チェーホフ作品の繊細さを日本人が理解出来るのは、
謎を謎のままとした、余白のようなものを勝手に解釈することが出来るからではないだろうか。▲
とりあえず今日はここまで。
一人の発言しかまとめなかった。
今後の話の流れ上、ここで一回区切ったほうが懸命なのだ。
★ 演劇死神ラディーの考察
かもめとは何なのか
これは誰もが必ず意識する問題だろう。
今、チェーホフのかもめを題材とした40分以内の作品を創作している真っ最中だが、
その作品の三つの軸の一つがこれである。
気違いじみたニーナは、
トレープレフに宛てた手紙にかもめとサインをするし、
実際に彼の前に現れたと思ったらぶつぶつ「私はかもめ」と幾度となく発している。
ニーナとトレープレフの人生をぼろぼろにした有名作家トリゴーリンは、
かつて、美しいかもめの死骸と若い娘ニーナを題材として、
ちょっとした短編の筋をその場で作ってしまった。
かもめのように自由な若い娘が、やってきた男によって破滅させられる話。
では、かもめはニーナなのだろうか。
しかしニーナは「私はかもめ。いいえ、そうじゃない」と言っている。
かつてトリゴーリンが見た、美しいかもめの死骸。
それは実は、トレープレフが銃で撃ち殺して出来たものである。
「今に僕は、こんな風に自分を撃ち殺す」
そう言って、ニーナの足元に彼はかもめの死骸を捧げたのである。
では、かもめはトレープレフなのだろうか。
かもめとは、何の象徴なのだろうか。
トレープレフは破滅した自分の末路として提示。
ニーナはぼろぼろになった自分自身を意味する言葉として。
しかし
トリゴーリンは、かもめのように自由な若い娘と連想する。
だが同時に、そんな若い娘の、破滅する末路をも連想させた。
自由と破滅の象徴になりうるかもめ。
では、何に自由なのか?
ニーナは女優志望。トレープレフは作家志望。
やはりここは、芸術にだろう。
芸術。いや、己の魂そのものに。
とりあえず抽象的にはそう考えておきたい。
ニーナは立ち去る前にこう発言する。
「己の十字架を負うすべを知り、ただ信ぜよ。だから辛くもないし、自分の使命を思うと、人生も怖くない」
そしてトレープレフは、
「僕は信念を持てず、自分の使命というものが未だに分からないでいる」
そう嘆き、やがて自殺したのだから。▲
精神分野の側面からの考察はいつか機会があったら。
演出してる最中よく発してるんだけど、
筋道立てた文章にするのが何かと面倒くさい。
次回、
かもめの輪郭
この次も、サービスサービスゥ!
チャイカというのはロシア語で、かもめという言葉。
第9回シアターX 国際舞台芸術祭 2010
プレ・シンポジウム
次の発言者は、
演劇評論家の中本信幸さん。
神奈川大学教授らしいです。
★ 中本信幸さん
チェーホフ作品は人によって感じ方が違う。
自分はこうだ!
従来の芝居は一人の主人公がいて成り立つ。
チェーホフの芝居は誰が主人公か分からない。
カクテル・パーティーのように人々が自由。
主人公どころか進行役すら居ない。
かもめとは何なのか
私はかもめ。
ニーナが言ってる。
でもすぐに否定している。
かもめというシンボルは単純じゃない。
絵画において
ヨーロッパでは全て塗りつぶす。
日本では余白を残す。
チェーホフ作品の繊細さを日本人が理解出来るのは、
謎を謎のままとした、余白のようなものを勝手に解釈することが出来るからではないだろうか。▲
とりあえず今日はここまで。
一人の発言しかまとめなかった。
今後の話の流れ上、ここで一回区切ったほうが懸命なのだ。
★ 演劇死神ラディーの考察
かもめとは何なのか
これは誰もが必ず意識する問題だろう。
今、チェーホフのかもめを題材とした40分以内の作品を創作している真っ最中だが、
その作品の三つの軸の一つがこれである。
気違いじみたニーナは、
トレープレフに宛てた手紙にかもめとサインをするし、
実際に彼の前に現れたと思ったらぶつぶつ「私はかもめ」と幾度となく発している。
ニーナとトレープレフの人生をぼろぼろにした有名作家トリゴーリンは、
かつて、美しいかもめの死骸と若い娘ニーナを題材として、
ちょっとした短編の筋をその場で作ってしまった。
かもめのように自由な若い娘が、やってきた男によって破滅させられる話。
では、かもめはニーナなのだろうか。
しかしニーナは「私はかもめ。いいえ、そうじゃない」と言っている。
かつてトリゴーリンが見た、美しいかもめの死骸。
それは実は、トレープレフが銃で撃ち殺して出来たものである。
「今に僕は、こんな風に自分を撃ち殺す」
そう言って、ニーナの足元に彼はかもめの死骸を捧げたのである。
では、かもめはトレープレフなのだろうか。
かもめとは、何の象徴なのだろうか。
トレープレフは破滅した自分の末路として提示。
ニーナはぼろぼろになった自分自身を意味する言葉として。
しかし
トリゴーリンは、かもめのように自由な若い娘と連想する。
だが同時に、そんな若い娘の、破滅する末路をも連想させた。
自由と破滅の象徴になりうるかもめ。
では、何に自由なのか?
ニーナは女優志望。トレープレフは作家志望。
やはりここは、芸術にだろう。
芸術。いや、己の魂そのものに。
とりあえず抽象的にはそう考えておきたい。
ニーナは立ち去る前にこう発言する。
「己の十字架を負うすべを知り、ただ信ぜよ。だから辛くもないし、自分の使命を思うと、人生も怖くない」
そしてトレープレフは、
「僕は信念を持てず、自分の使命というものが未だに分からないでいる」
そう嘆き、やがて自殺したのだから。▲
精神分野の側面からの考察はいつか機会があったら。
演出してる最中よく発してるんだけど、
筋道立てた文章にするのが何かと面倒くさい。
次回、
かもめの輪郭
この次も、サービスサービスゥ!
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